全ての始まりは六歳の時だった
両親が五歳ぐらいの時離婚
俺はまだ保育所時代だから苗字が変わったーぐらいの意識だった
小学校に上がり女子のパ〇ツを追いかけながら学校に行ってた
その頃に母が職場の人間に勧誘され入信
これがいけなかった
家でも変な仏壇に毎日一時間以上拝む始末
もちろん俺も姉も隣りに座らされた
寺にも週何回も行った
子供の俺には正座が辛かったのを記憶している
幸い学校ではいじめられはしなかったが家に友人を誘いづらくなった
そんなこんなで五年生
俺は母に将来の夢を語った
母の影響で九歳からギターを習っていたので子供ながらにミュージシャンになりたいと言ったんだ
どっか心の隅で応援してほしかったのかもしれない
しかし母の言葉は期待を裏切った
「あんたは出家するの!ミュージシャンとか馬鹿じゃないん!!」
泣いた
俺を僧侶にする、と寺の人や姉に言う時の顔、あれは二度と忘れない
狂信的な笑顔ってまさにあの顔の事なんだと思う
日蓮正宗
反論はした
俺も姉やみんなと一緒に地元の中学へ行きたかったんだ
いや行くものだと思っていた
そのたびに母は発狂し、泣いて、あの笑顔
母が泣くのを見るのはきついし、もう半分あきらめた
俺は僧侶になるんだ・・・
夜中に布団の中で泣いた
母が入信してから何度も何度も何度もそこに連れて行かれてたが
その時は新幹線に乗れるのが嬉しかった
今回は違う
もう二度とあの布団で寝ることはないし
親友と会うこともない
あの駄菓子屋にも行けないし、初恋の人も。
みんな俺を忘れるのかー・・・って駅に行くまで考えてた
涙は出なかったんだ
これって新興シューキョーだよね?
ごめんもうすぐ書くからまって
>>31
日蓮正宗自体は昔からあるシューキョーだ
他のシューキョーよりはマシなシューキョーだと思う
その時だった
駅に父さんがいた
父さんがいたんだ
離婚してから年に何度か会っていたがこれが最後だと思うと
ぐっと泣きたくなった
父さんと母が何かもめてる間俺は自分の靴を見つめてた
新幹線がきて、ドアが開く
興味ある
分かった。ありがとう
>>35
ホント。俺もあんまり覚えてないが創価がやらかして破門になりかけて
本山にごめん言いに来てに来て許されたがまたやらかして破門、だったと。
ちがったらごめんね
一歩遅れて乗った俺はドアが閉まるまで父さんと手を握ってた
大きくて、あったかい父さんの手だった
こっそりくれた父さんの名刺は母に見せずカバンの中にしまった
母とはあまり話をしなかった
できれば顔もみたくない
何度か乗り換えて、ついに静岡にきてしまった
タクシーでどんどん山奥に入ってく
そして寺に着いた
後の同期となる奴らもいっしょに泊った
朝。
なんかビルっぽい建物で五教科と知能テストやった
昼から面接もした
部屋に入ると坊さん七人ぐらいがエヴァのゼーレばりに座ってた
俺真ん中の椅子で母がそのちょっと後ろな。
小学校楽しかった事、頑張った事、よく読む本、趣味・・・
色々訊かれたが最後の質問がきつかった
俺君、ホントに僧侶になりたい?
心臓がぎゅってなった
「っはい・・」
「ホントに?」
「・・・はい」
なんで二回訊いてきたのか分からんが
手のひらに汗が溜まって大変だった
>>39
言えない。あの状況絶対に言えない。自分のかーちゃんだと思って想像してくれ
12歳の頃、かーちゃん泣かせたいか?
「いいえ」と言おうと思ったが声になったのは「はい」だった
母の安堵のため息が聞こえた気がした
そうして面接が終わり時はたち俺は出家した
母の意思で。
いると思うが、確立は政治家ぐらいだと思う
>>46
もっと汚い話になるから安心してくれ
ビルっぽい部屋の中同期と初めて真剣に顔合わせした
俺含めて16人
訊けば半分が一般家庭で半分が寺の子だった一般家庭の奴、俺と同じ顔してたな。
そしてついに丸坊主にする時がきた
ごめんこの時の写真もあったはずだか見当たらないちょっと探してきてもいい?
母が捨てたのかも
>>49同期となら流血の争いをした
>>50後で書くが地元の中学や食費、全ての金は寺が払うつまり母は完全にフリー状態
>>51リアルにいた
じょりりっと坊主になって笑えた少し寒かったな
で部屋に戻って同期を待つんだがみんな坊主で帰ってくるから
そのたびになぜか拍手して笑いあった
あと書き忘れたが同期18人だった
高卒の人二人いたわそういえば
そうしてると一人の坊さんが部屋にきた
俺らの担当係、つまり担任みたいなもんだった
名前はHさんで、背が高くてかっこよかった
冗談抜きでトランスポーターのあの人にそっくりだった映画見た時笑うぐらい似てた
んでその人が円になって座って手をつないで、と言う
Hさんも円に加わり19人となった
H「この先なにがあっても、俺たちは同期で、家族で、仲間だから。」
H「一人も欠けず、助け合って頑張ろうな」
みたいなことを言った。
冷静に聞けばくさいが現状を考えると12歳ながら心に響いた
後で分かるがこの人は担任役の坊さんでもダントツ1位でいい坊さんだった
そしてついに中学生寮に入ったんだ
ここからが地獄の修行時代の話
なによりも半分ニートみたいなもんだしいい仕事だよ
コの字型の中学生寮には中1から中3までが住んでる
俺が入った時は北棟が中3とさっき書いた高卒坊さんで俺らは南棟の2回に入った
ちなみに3階が中2の連中の部屋
10部屋ぐらいあって二人一組で同部屋、8部屋におさまった
身長は変わんないけど腕とか脚とか胸囲と俺の二倍くらいあった
何にもしなくても筋肉つく生命体だったが、話すといい奴だった
寺支給の肌着や部屋着、電気スタンドやコップに名前を書く
省略したが出家すると下の名前が変わるんだ
だから俺は本名ではなく新しい名前を書いた
>>61
ごめん詳しいことは最後に書きたいんだ
分かった
期待しておく
>>65二文字で俺らはみんな頭に 明 がついてもう一文字は本名からとる
俺の場合色々特殊な本名だから関係ない文字が下についた
その名前は別名道号ってやつでこの先ずっと寺ん中、大人になると正式な名前に変わるものなんだ
で数ある本堂の一つで儀式があって俺は白衣を着た白衣っつってもエ□イのじゃなくて着物の真っ白版な。
そして夜が来る
DQNネーム?
特定が恐いがどうしても、というなら書くけど・・・
まぁ特になにもない蛙がうるさい夜だった同期と夜中語り合った
小学校の修学旅行、これを想像してくれ
んで朝、何時かは忘れたが朝早くに一列に並んで寮を出発
1分ほど建物の中を歩いて例の儀式があった本堂に着く
いわゆる 勤 行 をこれから六年間朝夕ここですることになる
40分ほどで終わってメシ食ってHさんに寺ん中案内されて寮に帰る
コの字の縦の部分のでかい廊下でドッチボールをした
正直楽な生活だなぁと思って寝た
そうして三日が過ぎた
先輩が動き出す
通称「お客様期間」
出家して三日間は先輩もなにもしない、怒らない期間
逆にいえば三日後は知らないよ^^って期間
朝4時30分に叩き起こされ勤行前の本堂の準備、
勤行後の食事の準備、その他諸々を中2先輩とする
でもな、怒り方、殴り方が酷いんだ
昨日までの先輩はどこにもいなかった
挨拶返事は響き渡るぐらい腹から出して会釈は45度。大人には90度。
手は指先まで伸ばして足はそろえて首は曲げず腰を曲げる。
もちろん完全な敬語で反抗は絶対に許されない
絶対に。
これが最低限の基本。ちょっと背中を曲げて挨拶なんかしたら吹っ飛ばされる
これを中学入学まで徹底的に叩き込まれた
釈迦がボウリョク行為はNOっていってるはずなんだけどな・・・
>>79どこも厳しいって思うようにしてる
>>80ボウリョクちがう、可愛がり。
飯なんてろくに食えなかった
学生先輩が高3までと大人とで食堂で一緒に食べるんだ
できるだけ早く食べないと後で人気のない階段下とかにつれてかれる
飯も肉なんてほとんどなかった。白菜が多かった気がする。
酷い時は何人か分足りないんだ。先輩がとるから。
でも言えない大人には言えない
何チクッてんだよゴルァってなるし、そんな気力もなかった