舅と姑のこと。
夫の両親に初めて会った時は、どちらかというと男尊女卑的な夫婦関係の私の両親とは
全く違う雰囲気の、仲睦まじく対等な夫婦関係のカップルで、理想的だなと思った。
ますます良いな、私たちもこうなりたいなと思った。
ところが、両家の打ち合わせなどの段取りを決めるために何度目かに訪問した時
舅から衝撃的なことを聞かされた。
・夫は舅の子ではなく、姑が不倫して妊娠した、いわゆる托卵の子であること
・舅は姑を許し、夫を我が子として育ててきた。愛情に変わりなくこれからもそのつもりであること。
・こういう経過から、夫側は両家の親族とは疎遠で参列者も少なくなることをご容赦願いたい
というものだった。文に書くと立派な舅だけど、この時、実は夫も初耳で
大きくショックを受け、式の延期を考えるくらい落ち込んでいた。
普通は、夫婦にいきなりじゃなくまず実子に話すものだと思うけどね。
そういうこともあって、特に疎遠にしたわけではないけど、
私たちと義実家とは精神的な壁ができてしまった。
結婚1年余り後、私が妊娠中に姑が急病で入院。夫が義実家に通った。
ずっと後になって、自殺未遂だったと知らされた。
妊婦に負担をかけるな、と義伯母(姑の姉)から口止めされていたらしい。
その後、何も知らなかった私が訪問した時には、また仲睦まじい夫婦になっていた。
私たちや子供達のことも、折節の訪問とか贈答はあったけれど、基本的にふたりの人生を
楽しんでいるようで、ほどよく不干渉な感じだった。
それから10年余り経ち、舅に進行ガンが見つかった。
手術に抗がん剤、放射線といろいろな治療をして、舅は入退院を繰り返した。
その間、姑はつきっきりだった。
私たちが見舞うと、姑は舅を気遣い「お父さんはこんなところで終わってはいけない」と
必死で世話していた。舅がいない時に舅の苦しみを慮って泣いていたこともあった。
舅も、姑がいないところでも姑への感謝の言葉がくり返し出てきて、
「母さんと一緒にどこそこに行きたい、もっとふたりの人生を楽しむんだ」と言っていた。
しかし、甲斐無く舅は70前で亡くなった。姑は「どうして」とくり返し泣きはらしていた。
余りにも落ち込みがひどいので、極端に言えば後追いも心配され、一人にしておけないと
いうことになった。でも唯一の実子世帯の私たちは、子供が難しい年頃で
姑が落ち着ける場所もなかったので、大きな姑実家を継いでいる義伯母のところに引き取られた。
しかし、そこも居心地があまり良くなかったのと、
まだ60代なのに軽い認知症の気配もしてきたため、
姑自身の希望で、舅の遺産と義実家を処分したお金で、今後介護が必要になっても対応できる
遠方の上等な有料老人ホームに入ることが決まった。
無事に引越しが終わったのが先日。
義伯母の話では、姑はもとから控えめで、今回のように自分はこうしたいと
あまり言わないタイプで、それを言ってきたのだから、姑とは遠くなるけれども
尊重してやって欲しいと言われた。
そして義伯母からは、舅姑夫婦の昔の話も聞いた。
舅は今ならストーカー扱いされるような強いアプローチをして
(ただ脅すとかお金や地位に物を言わせてとかではなかったが
周囲が応援するような根回しはあったらしい)結婚に持ち込んだこと、
実は、夫を妊娠する前にも姑は一度不倫し、舅は間男に
法的・社会的制裁も加えていること、姑に呆れ離婚を勧める双方の親族と
縁を切って(義伯母以外はほとんど)でも、舅は姑をはなさなかったこと
夫は舅からの愛情を疑ったことは一度もなく、
義伯母が言うように、やはり舅はまっすぐに生きた、情の篤い人なんだと思う。
でも、いきなり私達夫婦に出生のことを話したりと、その真っ直ぐさが
結果的に周りの人を振り回してしまってきたのではないかとも思えてくる。
そして、舅はとにかく一途に姑を愛していたんだということがわかった。
でも、姑はどうだったんだろうか、と思う。
夫婦のことは夫婦にしかわからないし、姑は今後もおそらく明かしてはくれないだろうと思う。
きっと、愛情はあったんだろうとは思うけど。
なんかものすっごい不思議
私が同時に複数の人を好きになれないタイプというか、夫ただ一人大好きなせいかもだけど、
姑さんの行動の意味が全く分からない
奥行きの深い小説みたいな話だけど実際の中の人はきっとしんどかったと思う