前記事⇨上官「腕立て伏せ!用意!!…早くしろゴラァ!」俺「うぉぉぉ!!」→メンヘラの俺が自衛隊に入った結果wwwwww【1/6】
だから歩くスピードも自然と早くなっていく。
飯を食うのも風呂はいるのも用を足すのもめちゃくちゃ早くなってしまった。(当社比1.5倍)
あまりに飯を早く食っていたから途中胃を壊した(ヽ’ω`)
どれもこれも少しでも余暇の時間を作るため。
時間に間に合うため。間に合わなかったらお仕置きだべーって感じ。
話は変わるが、自衛官にとって最も重視されてるのは何か?
それはなんといっても体力。こいつがないと何も始まらない。
そろそろ5月病という時、その検定はやってきた。
自衛官として生きていくならこの検定は必須であり、ある一定のラインを超えることができなければそれが評価に直結してしまし、昇格もできない。
俺はというといままでやったスポーツなんて卓球ぐらいのガチもやしっ子。(すこし丸かった)
それはそれは悲惨な結果だった。
覚えているので腕立て14回、ボール投げ17メートル、3000㍍走16分!
女子か!言われてもしょうがない。
ここまで体力がなかった。
ゼーハーゼーハー息も絶え絶え。
運動した直後から筋肉痛。なにこれ
ちなみに自衛隊は入隊試験の時体力検定は実施しない。
そこからが警察消防と違うところ。
よく言われる、警察消防はふるい落とすところ、自衛隊は使えないやつを使えるレベルまで持っていくところの所以かもしれない。
でも、そこは班長たちもお見通し。はなから期待してないと。
おれらがバッキバッキにしてやんよ!とのこと。
お、お手柔らかに(´;ω;`)
まぁことあるごとに体力錬成はしていた。というよりやらされた。
よくある手段として罰として体力錬成をかすというものがある。
僕ら新隊員は朝、服装点検というものがある。
舎前に並べられてアイロンのプレスができているか?ヒゲはそれているか?靴は磨けているか?というのを班長が点検して回る。
指摘された事項一箇所につき腕立て10回がかされた。
よく自衛隊は理不尽不条理だと言われるが俺はこのときそれを痛感する出来事に遭遇する。
威勢よく自分の名前を叫び、班長の点検を受ける。
「アイロンのプレスがけ不十分!」「アイロンのプレスがけ不十分!」
指摘された箇所は復唱する。
ポンポンと数カ所の指摘事項が上げられたあと、俺は信じられない指摘箇所を耳にすることとなる。
「目の輝き!不十分んんんん!!!」
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
なんじゃそりゃああ!?
「め、めのかがやき!ふじゅうぶん!」
あれか?眼を磨けばいいのか?磨き方教わらなかったぞぉ?
しかし指摘されたからにはしょうがない。腕立てがプラスされた。
まぁこんな風に、とにかく腕立てをやらされる。すぐにパンパンになってしまっていた。
最も辛い戦闘訓練はなにか?ときかれたら何を想像します?
銃持って走るとか多分みなさん想像すると思うんですけど、実は匍匐なんですね。
匍匐前進って、第一から第五まで形態があって、数字が進むに連れて姿勢が低くなってく。
これだけの訓練を炎天下延々とやらされ俺はゲロをぶちまけた(一回目)
つか書こうとするといくらでもかけるな(ヽ’ω`)きりがない…
俺の人生の中で最も熱く濃い三ヶ月間だったから…
教育が終わって、ベッドバディとわかれるとき涙が止まらなかったし、自然と感情が戻ってきていた。
辛いとこ苦しいことたくさんあって、人間関係にもまれまくって、俺は普通の人間に戻れたと思う。
懸垂も上がるようになってタヒぬほど嬉しかったし、射撃では徽章ももらった。
3000㍍走もいまは10分台で走れるようになって、人間関係もとてもいい。みんなに認められている。相変わらず無愛想だけども
なんかまとめが雑すぎだけど許してw
本当に書ききれないんだ…かなりの時間を費やしてしまうから…
できないことができるようになっていく。そういう場所だとおもう。自衛隊って。
俺みたいな奴でも、拾ってくれて育ててくれた自衛隊。
恩返しのつもりで骨を埋めたいと考えてる。
何が言いたいのかよくわかんないけど、とりあえず彼女ほしい(意味不明)
ありがとうございました!
試験受けて下士官になるってこと?
9月にそれの試験がある
まぁ航空にしよかなって考えてるけどねー
コミュ力つうのは場数で解決できる
そして適切な指示は経験を積むことによってできる
ようはなればその役割を人は果たすようになるということ。時間のかかるかからないはあるけど
どうしようもない人はどうしようもないけどそれはもう本人の人間性/的な問題だから
これは俺がここに入って経験したこと
立派になったな!
息子を自衛隊に入れようかな
だが、自衛隊のCMと思ってしまう
俺って汚れてる?
よ、スレッドはまだまだ1000まで残っているぞ
書ききれないと言ってた3ヶ月のことを、もっとkwsk書いてみないか
んーそうだなぁ
気が向いたら!結構疲れるね書くのw
とりあえず課業終わったら少し書いてきますん
実はこの時点ではまだ自衛官の身分を持っていない。
あくまで〃候補生〃なのである。
階級も存在しない一般人。
階級を授与されるにはこの三ヶ月を突破しなければならない。
すなわち、この期間を超えなければ自衛官にはなれないということだ。
結構話が前後するかもだけど許してw
即興だから!
じゃまずは最初に被服を交付された時のお話でも・・・
初めて間近に見る戦闘服や半長靴、制服制帽。
「かっこいい・・・!」
感動しないわけがない。いままで触れる機会など皆無だった代物がいま、目の前にあり自分のものになろうとしている。
採寸が行われ服があてがわれる。
「んん・・・?」
でかくないか?でかいよなこれ・・・
「よし!お前はこれだ!」
よかないでしょ!(; ・`д・´)
曰く、服を体に合わせるのではなく、体を服に合わせるとのこと。
この言葉は教育進むに連れて実感する。
体が服にあってくる・・・!体付きが変わるからだ。
まぁ靴なんだけどほんとうに高性/能である。こいつをはけばどんな道でも歩ける。
水も通さない。先端には鉄のようなものが埋め込まれているらしく蹴るとヤバイ。
紐の結び方はちょっと特殊。まぁ結び方とかも全部決められている。
そんなこんなの被服の受領。
全て官品といって国から支給された国民の血税。
なので無くすことはありえない。
もしなくなったとしたら・・・全員で捜索である。
実際俺も経験した。他の班の人間がワイシャツを亡くしたのである。
すぐさま全員の被覆が点検された。のち、全部屋を一斉に捜索。
運良く見つかったが、このようにして自衛隊では 物品愛護 の精神が叩き込まれる。
国民の血税。その重みを体に染み込ませるわけである。
夜中になっても捜索が続いたこともあった。
最初の教育といえばやはり基本教練であろう。
これは敬礼など自衛官にとって必須の各種動作のこと。
キビキビした自衛官の動きはこの期間で体得する。
どこへ行くのにも隊列を組んで行動する。
一人二人で行動するなど教育期間中はありえない。
「イッチニー!イッチニー!」ザッザッザッザ…
隊列を組んで歩く。
ただ歩くだけなのだが歩調がなかなか合わない。難しいのだ。
左右!左右!と号令をかえ、徐々になれていく。
「左向けー止まれ!」「別れて爾後の行動にかかれ!別れ!」「別れます!!」
これでやっと解散である。が、歩くなんてもってのほか。
三歩以上は駆け足!当たり前だよね?(´・ω・`)
他にも右、左に行く時の動作、歩調を合わせる動作などいろいろな号令を体に染み込ませていく。考えなくても体が自然と動くまで。
余談だが自衛隊でははじめの一歩は左足からと決められている。とりびあ~( ・´ー・`)どや
これ結構頻繁に耳にするけどやっぱりいろいろ決められている。
グーの状態で体側にピッタリとつけ、胸を張り足の角度は60度。
心臓を止めるつもりで立つ!
教本にはいついかなる号令にも対処できる基本の姿勢と書いてあった。
この姿勢。めちゃくちゃ疲れる。本当によく点検された。
敬礼にいたってはババっ!とやらなければならない。
これに銃が加わるとまたちがった感じになってくる。
銃をもった状態での各種号令も存在していて、これもしっかりとやっていく。
・・・・・・・・・・・
銃。自衛官のシンボルとも言える代物。
自衛隊にいる以上はこいつとはお友達である。
戦闘訓練では絶対に欠かすことができない。
僕が支給された銃は64式小銃というもの。
64というのは製造が開始された年のことである。すなわち1964年に生まれた大先輩。
他にも89式という現在の主力の銃があるんですけど、あいにく僕の銃は64だった。
重たく部品がべらぼうに多い!
まぁ体力錬成にはもってこいなんですけどね・・・
いろいろな教育が並行して行われていく中、銃を分解して結合する分解結合教育が行われた。
こいつを話そうと思う。
面白いってレス励みになります!
少しでも自衛隊の世界を追体験していただければ…
初めてマジマジと自分の銃を見る。
無骨。まさに銃という感じだった。さわさわいじいじ。
「注目!!」
班長たちが銃の分解を展示説明してくれる。
んん…?んんん…!?!?
一丁の銃はみるみるうちに数多の部品へと姿を変えていた。
そして部品が多い!多すぎる!!聞けば全てに名前があるというではないか!!
なんじゃこりゃあああ!!
・・・
とりあえず班長の後を追いながらの分解。
自慢じゃないが俺はかなりの不器用。
あれ?あれ?ん?んん???(´;ω;`)
手間取りまくりである。コミュ障がどうとかいってられない・・・!
周りの同期や班長に聞きながらなんとかすべてを分解。
はへ~・・・と行き着く間もなく、次は結合へ。
「分解した順序、覚えてるよな?あとはそれを逆にやっていけばいいだけだから。」
・・・(●^o^●)
この時点で俺は武器科にだけは絶対に行きたくないと思った。
もちろん、最初見ただけではできるわけなんてなく。
教えを乞い乞いやっとこさ完成までこぎつける。
終わった頃には手に血豆が出来、痙攣していた。
詳しいことは言えないけど、バネがあって、こいつがなかなかの曲者。
銃にまだ認められてないな!なんて厨ニな事を考えてた。
この教育、結構繰り返した。なんといっても銃を使ったあとは整備なのだから、これを覚えなければ自衛官としてはNGなのである。
ちなみに修了検定ではこいつを時間内に分解結合し、かつ部品の名前をテストされるあばばばば(●^o^●)
でも!しっかり修了したよ(^^)v
そんな非日常を繰り返すと同時にいよいよ始まってくる戦闘訓練。
戦闘服、てっぱち(ヘルメット)、半長靴とかよくみるフル装備に身を包み舎前に集合する。
「控えー!!つつ!!」
銃を胸の前に持ち、次の号令を待つ。
「まええー!進めえぇー!!」
「イッチ!イッチ!イッチニー!」「そぉーれぇ!」
歩調を数えながら駆け足。イ谷に言うハイポートというやつである。
戦闘訓練場までは常にこれで移動する。
1区隊でだいたい50人ぐらいだから結構壮観である。
ほちょー!かぞえ! イッチ!(そーれ!)二!(そーれ!)サン!(そーれ!)シ!(そーれ!)
イッチ!(ハイ!)二!(ハイ!)サン!(ハイ!)シ!(ハイ!)イッチニーサンシーニーニーサンシー!
これがまーつらい。銃も重たいし言葉も出なくなってくる。
すかさず隣で走ってる班長が
「オラァ!声出せコラあああ!!!班長一人に声負けてんぞオラァ!」
これである。
息も絶え絶えザッザッザッザ。
一応言っておくがまだメインの戦闘訓練は始まってない。もぉー!
今日は!?(今日は!?)楽しい!(楽しい!)戦訓!(戦訓!)戦訓!(戦訓!)
だけど!(だけど!)だけど!(だけど!)声が!(声が!)声が!(声が!)小さい!(小さい…!)小さい!!(大きい!)小さい!?(大きい!!!!)ザッザッザッザ
半ばやけくそである。
ちなみにこの呼称はレンジャー呼称といって、かの有名なレンジャー教育で多用されているものである。
体力が限界で意識が朦朧としている状態でも、言葉を紡ぎ意識をもたせる訓練だとか。
使う道具はブラックテープと針金。ますますわかりませんよね?w
実はこれ脱落防止。
この64小銃。ブラックテープや針金で各部を補強しないと部品が訓練中落っこちてしまうのである。
ええー!そんなんでやってけんのかよ!最もであるがこれが現実である。
グールグルまきにして針金を通す。
これもまた結構時間を取られる。
班長たちも急かすもんだから焦りでなかなかうまくできない。
ちなみに半長靴にもまいて靴ヒモが出ないようにしたりする。
戦訓中靴ヒモでちゃったら危ないからね
・・・
やっと訓練場に到着。
なんかもう終わりでいいんじゃない?みたいなムードが漂う中、下達された内容は・・・
匍匐前進。僕、前に書き込みましたけどちょうどいい機会なんでもっと詳しくいっちゃいます!
おそらく自衛隊を最もよく象徴する動作であろう。
敵から見えづらくし銃弾も避けやすくする。
この訓練にはさすがに興奮した。
おおー!匍匐!!陸自じゃん!←陸自である。
例にもれず班長がとりあえず匍匐の姿勢で芝生の上で展示説明。
姿勢を維持しどれぐらいの隠蔽効果があるかを示す。
…!?
見えない。これは比喩でも何でもなく本当に草と一体化している。
すごい。この一言だった。これはまず航空からじゃ発見できない。
航空じゃなくても結構近づかないと視認できないレベルである。
そしていよいよ動き出すわけだが、前にもいったとおりこの匍匐、第一から第五形態まであり数字が進むに連れて姿勢が低くなる。
第五なんてもう地面に這いつくばってズリ…ズリ…みたいな感じである。
一つ一つの動作を単体でやっていくならそこまできつくはない。
だが、これらは単体で存在するわけではない。
状況に応じて使い分けていくのだから複合が当然である。
ちなみに最も有名な匍匐は第四匍匐。(みんながすぐ思い浮かべるやつね)
広大な芝生グラウンドで延々と第一から第五までの姿勢変化の演練。
銃の重みも手伝って本当に辛い。
「ハァ!ハァ!…ケホ!ハァ!…ハァ!ゲホゲホ!」
俺はここ数日咳が止まらない状態でいた。(理由ついてはまた説明する)
そんな中、ひたすら炎天下のグラウンドをををしながら駆け回る。
向こうまでやっと到着してもまたハイポートで元のいちへ。そしてまた繰り返す。
4、5回繰り返した時。
「ゲホ!ゲホ!…カハ!うっ! オロロロロ!」
ビチャビチャ!吐き出される汚物。
銃もぐちゃぐちゃになってしまった。
これ以上訓練は無理。そう判断され日陰で休み、銃を洗う。
何とも言えない気持ち。同期にも迷惑をかけてしまった。まぁこれはこれで完結したけども。
ベトナム戦争映画の訓練シーンではよく見かける匍匐前進
実際、装備を抱えて進むのって大変なんだろうな
ガチでやばい。
普通科とかマジキチだとおもう
自衛官はこれを皆経験するのだ!
んーそこまで厳しいのはいなかったようなw
・・・・・
5月。季節の変わり目である。
そんな中、一人が風邪をひいたとする。
どうなるか。
もともとタコ部屋であり人間が密集して生活している。
一斉に罹患していくのだ。
ゲホゲホ!ゲホゲホ!ゲホゲホ!
俺が記憶してるだけでも8割ぐらいの人間が咳をしていた。
マスクをしてたり顔色が悪かったりもう地獄絵図である。
それでも俺らは病院に行けない。
俺は自衛隊は病院も無料だと思っていた。確かにそうだ。でも。
新隊員が病院にいけば、その分訓練が遅れてしまう。
誰もいわないが、それは皆暗黙の了解。耐えるしかなかった。
たんまの外出で市販薬をかい、自分で治療するのである。
だから俺は自分で医療キット的なのを作っていた。
風邪薬はもちろん、体温計、マスク、のど飴など様々である。
枕元には濡れタオルを設置して乾燥させないようにしたり、いろんな知恵を身に着けた。
お陰で病弱だった俺は強靭な抗体性/を身に着けていた。
いいか悪いかはわからない。でも。文句は言えない。
自分で考え、適応していくしかない。
君が代が鳴り響き、国旗に対して敬礼をする。
国旗のバッグには燃えるような夕陽があり、なぜか鳥肌が立つ。
この瞬間が、国防という崇高な任務を担っているのだなと実感する時。
愛国心なんて大層なものではない。
それでも、自分の生まれ育った国に対しなにか言い表せないものを感じる。
隊には旗が与えられていて、とても神聖なもの。汚すことは許されない。どこに行くにも持っていく。
なにかやらかすと旗の棒が鉄に変わってたりして、ここでも筋トレは抜かりない。
1日の終わりには、旗を中心に据え、1から5班の総勢55名で円陣を組む。
「今日も一日お疲れさん!!」「おおー!!」「明日も一日頑張るぞー!!」「オオー!!」
こうして僕らの1日は終わる。
ただ、課業が終わっても遊んでる時間はない。
次の日に向けての準備があるからだ。
アイロンがけ、洗濯、靴磨き、筋トレとやることは目白押しだ。
そんな僕ら新隊員。
一週間の終わりには必ずやらねばならないことがある。
それは。親への電話。
親への電話は強制?
ま、本人の意思に任せてる部分もあるけど基本は絶対みたいなことは言ってた
国防という仕事の性/質上、いつ自分のみが危険に晒されるかわからない。
突然の任務で海外に行くこともある。
親のタヒに目に会えなかったり、自分が殉職して親を悲しませる。そんな状況は自衛隊という組織に所属している以上は人事ではない。
だからこそ、教育隊のうちから親に電話をかけさせる習慣をつけさせ、最後に親の声を聞いたのはいつだっけ?の状態で戦タヒしたり、親に自分の声を聞かせないまま離れ離れになるという状況を作らせないようにするのだという。
「もしもし!」
俺はこの時間が一番好きだった。
何を隠そう俺の親父も自衛官。話が合わないはずがない。
親父も昔の自分を思い出したのであろう、俺の報告を楽しそうに聞いてくれていた。
戦闘訓練の話、同期の話、アイロンで苦戦した話、靴磨きのコツ・・・
自衛隊に入ってよかったことは親父との共通の話題ができたことかもしれない。
とても嬉しかった。いままで父親の躾は厳しすぎると思っていたし、なぜここまであれやこれや注文をつけるのだろう?過保護すぎるんじゃないか?何でもかんでも報告報告!ほっといてくれ!と昔は思っていた。
でも、同じ組織にはいって、親父の気持ちがわかった。親父の偉大さも。
親父を理解できた気がした。