とりあえず今俺は21歳。
去年入隊した陸上自衛官。
そう
教育隊だけじゃね?
やっと落ち着いたのが小4の時だったかな。
中学に入るまでは至って普通の明るい少年だったと思う。
ただ人の気持ちを思うことができなかった。
平気で人をけなしたり、人をいじって笑いものにしたりしてた。
いろんな学区からいろんな人が来た。
丁度思春期真っ只中の俺は物凄く人目が気になりだした。人の評価が基準だった。
気付けば所謂スクールカースト上位のグループの金魚の糞になってた。
元いたグループが下に思えて嫌だったんだよね。愛想笑いしまくって…自分を杀殳して。
感情を抑え、嫌なことをされても言われてもヘラヘラヘラヘラ笑ってた。とにかく嫌われたくなかった。
ある日。
自分が本当にわからなくなってた。
これは俺の体なのか?手なのか?自分が自分じゃない感覚。
息の仕方、歩き方、すべてを意識しながらやってた。
喜怒哀楽もわからない。
これは今振り返ってわかることだけど、感情を抑えすぎた結果の離人症状だと分かる。
自分を上から見ている感覚。
中学の三年間、俺の意識は内へ内へと向かっていった。
自問自答、内省の日々。精神は疲れ果てていた。
本当に笑ったのなんて片手で数えるぐらい。
後出しだけど、殴られたり結構暴力も振るわれてた。体中痣だらけ。でも笑ってた。
もうすっかり人間不信に陥ってた。誰とも関わりたくなかった。傷つきたくないと。
部活もやってたけど、先輩に陰口を叩かれた。まぁ俺が悪いんだけど…それぐらいでひどく気分が落ち込んだ。ガラスのはーとすぎる。
結局、その部活もやめて都落ちするように別の部活へ。昔の面影なんて全くなかった。
親に誰にも相談できない。変なプライドが俺を縛りあげていた。自縄自縛。
メンヘラの素地の完成。
中学卒業と同時に全て切った。
今まで関わってきた人との関係を。
高校入れば何か変わるだろ!友達もできる。楽しい高校生活が待っている!
希望的観測。でも何も変わらなかった。
中学の三年間で、すっかり人との付き合い方がわからなくなっていた。
当然である。喜怒哀楽すらわからないんだから。
高校生活に至っては本当に思い出がない。
空白の三年間。修学旅行とか本当に嫌だった。
人生で生まれて初めてグループ分けであぶれた。
班分けで、誰とも組めない。誰も声をかけてくれない。
生き地獄。冗談でも何でもなくタヒにたかった。
いわく、おれは普段すごい怖い顔をしてるらしい。だから怖がられてたみたい。
今考えるとそれも自分を守るためだったのかなぁと。
その顔つきは今でも変わってなく、上官にすら「ほら、スマイルスマイル!にこーってして!」といわれるほどw
自分自分ばっかだな(-_-;)
組まないと困る行事のために一緒に行動していたようなもの。
で、大学入学。
ここでも何故か俺はまだエンジョイできると考えてた。馬鹿丸出しである。
やっぱり友達なんてできない。
大学は最初が肝心だとネットで結構言われてたから、俺はもう終わりだと思った。
入るために結構頑張ったんだけど、それの反動+孤独感でもう駄目だった。
一週間で大学に行かなくなった。
せっかく入った大学をなぜ!?と親族は攻め立てる。
当然だよね。高い入学費も払ってもらったのにこんなんだもん。
だけど、俺はもうベッドの上から動けなくなってしまっていた。
なにも気力が沸かない。何もできない。したくない。
俺はなんなんだろう。なんでこうなっちゃったんだろう。
もう、本当に終わりだと…
母親には大分ダメージを与えてしまった。
元々鬱病を患っていた母親は俺が原因でアルコール依存症も併発してしまっていた。
でも俺には何もかもどうでも良かった。
タヒんだような日々。
終わりの見えないトンネルの中にいる感覚。
父親から言われた。ただこれは意味がなかったように思える。
2ヶ月ぐらい通ったけどね。その時診断された症状は抑うつ。
この時の俺は本気でタヒのうとタヒに場所を探してた。
電車に飛び込もうだとか、橋の上から飛び降りようだとか、首吊りの方法を調べたり、遺書を書いたり…
母親も俺ももう限界だった。
一緒にタヒのうと言ったこともある。
大学に籍をおいたままこんな感じて過ごしていたある日、リハビリも兼ねて自動車教習所に行ってこいと言われた。
一回行っただけでもう満身創痍。
動けなくなったのをよく覚えている。
まぁこれはいいリハビリになったかな。
なんとか卒業。
あんまり気乗りがしなかったけどとりあえず5社ぐらい受けた。結果。全オチ。
これにはさすがにショックを受けた(ガラスハート)
面接をしてくれた店長さんが言うには
「君には覇気がない、表情も硬い、接客は向いていない」だった。
自分では愛想がいいほうだと割りとガチで信じていた。
こういう風にして、世間の認識と自分の認識のズレを擦り合わせていけたのかな?と今になって思う。
当時は本当にショックだったけど。
電車の中で赤子を抱いた嬉しそうな女の人を見て、俺の人生をこの赤ちゃんにあげたいなぁと本気で思った。
俺よりよっぽど有意義に幸せに使ってくれるんだろうと…
多分これが転機になった。
どうせタヒぬのなら。誰かのためにタヒねたら。俺の人生を誰かのために使えたら。
それからはもう早かった。
試験日程、試験科目、陸海空の選択。
道が開けた気がした。
ちなみにまだ大学には在籍中である。なにやってんのと( ´Д`)=3
だって、今までろくに人間関係築けなかった奴がよりによって自衛隊かと!
おまけにろくに運動経験もない奴が無理だ!俺が第三者だったら確実に思う。。。
実際、試験日程が近づいてくるに連れてかなり迷ってた。
どうしようどうしよう…俺にできるはずがない…でも…でもやるしかない…
まぁ試験までは広報官の方のお世話になりっぱなしでしたけどね!
実際俺がやったことなんて試験勉強ぐらいだったからかなり精神的負担は少なかった。
戦車、大砲、レンジャー!まさに自衛隊!
第二に災害派遣。
これは俺の人生をーのくだりからしたら当然の結果だけど。
第三に入りやすい。
これはどうかと思うけど陸は空にくらべたら断然入りやすいw
母数が多いから当然っちゃ当然なんだけどね!海は論外。僕泳げましぇん(^q^)
自衛官候補生と一般曹候補生。
前者は任期制つって2年を1任期として勤務する。俺はこのコース。
試験レベルは中卒レベル。掛け算が出てきた時は何事かと思った
任期満了後は退職金もでて職業斡旋もして貰える
後者は非任期制。
基本的に曹(下士官)になること前提の採用。
試験は高卒レベル。まぁ専修大学レベルだね
こっちは任期がないからやめるとなっても退職金出ないし職業斡旋もしてもらえない。
ちなみに俺は一般曹補欠まで行って落っこちた(^q^)
いよいよかぁ。変な感慨。
忘れもしない着隊日。2013年3月30日。
ここから不安しかない自衛隊教育隊編。
ですけどちょっち外出してきますん(^q^)
マジで怖かった。
俺の自衛隊に対するイメージはオラァ!ゴラァ!の世界だったから…
体育会系の人ならなれてるかもだけど俺は超絶おとなしい系男子。
集団生活なんてやったことない。はぁ
部屋につく。二段ベッド十一人部屋だった。
ベッドは青く塗装されていてところどころ剥がれ落ちている。
あたりを見回すとちらほら同部屋の人が。
うまくやってけんのかなぁ(ヽ’ω`)もう嫌になってた(笑)
それより気になったのは本当にベッドとロッカーしかない。
ベッドのせいで人一人通るのがやっと。
タコ部屋とはまさにこのことだった。
いろいろやさしく教えてくれた。
着隊士してすることは被服の受領と裁縫。
入隊式までの数日間はこんな風に周辺の整理をしながら、基本的な自衛官としての動作をちょこっとやる。(入隊式にむけて)
こういう時間を使って周囲はコミュニケーションをとっているのだけど俺は言わずもがな。
またあの耐え難い孤独感が襲って来る。
すなわち、同時期に入隊すれば上は26、下は18までが同期となる。
これがまたコミュニケーションの難易度を引き上げた。
なんてったって俺は後輩らしい後輩や先輩づきあいもしたことない。
同年代ですらうまく付き合えなかったのだから。
着隊して数日たっても相変わらず口を開かない俺。周りも何だこいつと思ってただろな。
入隊式の数日前に宣誓書のようなものを書かされた記憶がある。
要約すれば、私は何があっても二年間は自衛隊を勤め上げますよというもの。
班長たちもやめるなら今だぞと畳み掛ける。
この時点で俺はもう自衛隊をやめようと考えてた。
訓練すら始まってねぇのにか!と情けなくなった記憶がある。すっかり逃げグセがついてた。
いろいろ周りに対する言い訳も考えてたし。
今しかない…こいつを書いたらやめられなくなる…
どうせ俺には無理だったんだよ…相変わらずコミュニケーションとれないし。辛い。でも言い出せなかった。
入隊式。
自衛官ならば誰もが通る道であり、神聖な儀式でもある。
聞いたことがある人もいるかもしれないが、この日にある文を新隊員全員で読み上げる。
服務の宣誓というものである。
内容は「私は我が国の平和と独立を守る~ことに臨んでは危険を顧みず責務の完遂に務め、もって国民の付託に答えることを誓います。」最初と最後だけ…
よく覚えてない(超小声)
まぁ日本が危機に陥った時はタヒ力を尽くして守り通しますよという宣言ですね
これを読み上げて初めて自衛官としての第一歩を踏み出したことになる。
区隊長が銃番号を読み上げたあと、銃!と言って渡されるのを思いっきり力強く受け取り、銃!(銃番号!)と叫ぶ。
第一の感想は重たい。そして怖かった。
指一本で人を杀殳してしまう道具。
少し震えてたかもしれない。
同時に あぁ、もう引き返せない 自衛官としての一歩を踏み出してしまったと思った。
外はまだ薄暗く静寂に包まれている。
孤独感に包まれていても睡眠だけはぐっすりいける。
これが俺の唯一の自慢(*´∀`*)
・・・・・・・
パァパラッパパアッパラッパパッパァァァ!!
!?!?
耳をつんざくような爆音。起床ラッパだ。
ちなみに自衛隊で営内生活をするならこれとは一生の付き合いになる。
「起床オオ!起床オオオ!!舎前に集合!」
間髪入れずに班長がなだれ込んできて急かす急かす。
追い立てられるように舎前へ。
ここで点呼を取り人員の掌握をする。
ドスの効いた声。指名された隊員が時計を確認する。
「6時5分です…」
「遅い!なめてんのかテメェら!!」
えぇ…この人だぁれ?ぼくこの人しらない(^O^;)
優しかった班長を返して(切実)
お客様期間が入隊式で終了していたようだ。
無料期間が終了してるのに気付かず有料登録してた気分でつね(*´∀`*)
「腕立て伏せ!用意!!…早くしろゴラァ!」
(´;ω;`)
自衛官のベットメイクはホテル顔負けとよく言われる。
まさにそれである。
バウムクーヘンと呼ばれる層を一寸の狂いなく積み重ねないとやり直しの世界。
たたみ方、重ね方、向き。全て決まっている。
こいつを迅速にやらねばならない!何故か!
飯 の 時 間 が 迫 っ て い る
タヒ活問題である。食堂は閉まる時間が決まっているため遅れたら食えない!
しかも班行動と決まっているので、一人が遅れたらみんな食えない!
ここでコミュ力ある人は手伝ってーとか遅れても(*ノω・*)テヘで済むんだろうが俺はそうはいかない。
迷惑はかけられない。
人のためって考えると力出るよな
なー
こんな日常を三ヶ月間繰り返す。私は何度でも繰り返す…じゃなくて
分単位で定められたスケジュール。
教育内容は座学、戦闘訓練(射撃、格闘、応急救護)体力錬成など多岐にわたるが、この三ヶ月を前期教育と呼ぶ。
自衛官としての基本的な素養を身につけるためのものであり、躾教育とも言われている。
ネクタイのしめ方、アイロンのかけ方、言葉遣い、洗濯の仕方、靴の磨き方。本当に手とり足取り教えてくれた。
感動したのが飯を食うとき。
班長を筆頭に「姿勢を正して、合掌!いただきます!」「「いただきます!」」
これってあんま意識したりしないけどすっごく大事なことだと思う。
こういうのもしっかりやる。
今の人は違うけども、昔の人は文字すらかけない人が平気でいたらしいから、ここまでするのはその名残なのかも。