笑いながら「どしたの?」って言ってたけど本当に感謝しているよ。
彼女がいなきゃ今頃どうなってたんだろう…
遅筆だけどお願いします。
その頃は将来共に過ごすなんて考えた事も無かった。
嫁は優等生だった。それに気が強くよく怒られた記憶しかないww
俺はどこにでもいそうな普通の男子学生…好きとかそんな感情はなく。
殆ど絡みもなかったんだ。
ノロケでは無いです、辛い時代に支えてくれたので本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
三年に進級してからも同じクラスになり、少しずつ話すようになった。
意外と気さくな子でたまに話したりしてたんだ。
ここで感謝したって嫁に伝わんなかったら
やっぱり単なるノロケで終わるでしょ
どしたの?
進路を決める大切な時期で俺自身も進路は決めていた。中堅進学校で納得してそれなりに勉強してたんだ。彼女は県下No1の進学校に受験を定めていた。
仲を縮めるキッカケになったのは、体育祭の委員に選ばれた事。
お互いじゃんけんに負けに負けてクラスの実行委員になったんだ。
書いている時から見られるのは少し気が引けてしまって。
ID変わったな
本人か?
でも2chなんぞに書いたら嫁さんに怒られたりせんかね?
人生色々あって、振り替えるキッカケが嫁の一言だったので最後まで書きたいと思います。
責任感の強い子だったので、夏休み何回か呼び出されたんだ。
二人きりでは無かったけど、何度か会ったんだ。
勿論体育祭の話。
各クラス応援の出し物をするんだけど、アイディアが中々決まらず。
でもやるなら優勝したいよねって彼女の意気込みもありアイディアを捻りだした。
話し合いの末「ねぶた」をモチーフにした御輿&ブラジルの伝統ダンスを取り入れた新感覚の応援演技だった。
ブラジルのダンスを取り入れたのはクラスに何人かブラジルの子がいたため。 ダンスを取り入れる事に大賛成してくれて、熱心に振り付けをしてくれたんだ。
ID変わって、わかりづらいからトリップ付けてくれ
普段はバラバラだったクラスが一つになった、ダンスの振り付けで指導。
放課後は買い出し。
予算は1500円だった為スーパーに段ボールもらいに行ったり…二人で駆けずりまわった。
ねぶたをモチーフにした御輿は毎日放課後に二人で作成した。
下書きは咲(嫁)が担当し、骨組みやらは俺が作った。かなり大がかりだったけど、毎日話ながら楽しく製作した。
初めのうちは黙々と作業してたんだけど、絵の具が無くなって一緒に買い出しに行ったりしてるうちに少しずつ打ち解けたんだ。
内容は他愛のないもの、好きなテレビの話、友達の話、進路の話なんかだったかな。
そのうちクラスの数名が助っ人してくれたんだが、正直ありがた迷惑だった。 この時から少しずつ惹かれていったのかもしれない。
咲は本当に喜んでいたよ。俺も始めは嫌々だったんだけど、製作したり、振り付けの練習したりしてるうちにのめり込んでた。
感無量になったんだ。
お互い本当に喜んでハイタッチまで交わしてしまった(笑)
この時普段見せない彼女の素の部分に惹かれてたのかもしれない。
色々話し合って、優勝出来るといいねって見せた無邪気な笑顔が忘れられなくなってたんだ。
心筋梗塞だった。
朝まで元気だった、学校に連絡があり駆けつけた時には父は亡くなってたんだ。しばらく休む事になった。母親も弟も茫然自失だったんだ。
弟も俺も少しずつ鬱になっていった。
受験独特の雰囲気もあったし、一人になったんだ。 仲の良かった友達も心配してくれたんだけど、鬱ぎ込んでしまったんだ。
家も学校もガラリと変わった感じ。
この時何をするにも上の空だったんだ。
ある日咲に呼び止められた。ノートを渡された。
内容は休んでいた間の授業ノートだった。
優等生らしく丁寧にまとめられていた。
私に出来る事ってこれくらいだから…体育祭のお礼も言いそびれたし。
私に力になれる事があったら言ってねとそのまま走り去っていった。
さぞかし>>1はイケメンなんでしょうね
受験まではガムシャラに勉強した。
幸いにも県でも有数の進学校に合格する事ができた。
咲きには卒業前にノートのお礼に少し高めのシャーペンと文具セットをプレゼントとして渡した。
この時好きだったが、告白する勇気はなかったんだ。
勉強を続けたものの学力は伸びず…医大は夢のまた夢だった。
再会したのは大学受験の時第一志望の大学のセンター試験の時…肩を叩かれた。
「あっ久しぶり!山田くんだよね?覚えてる!?」
明日朝早いので寝ます。 読んで頂いた方ありがとうございます。
仕事の合間に書溜しておきますね。
おやすみなさい。
また明日
朝から少し書き溜したので投下していきます。
「あっやっぱり山田くんだw覚えてる?中学の時同じクラスだった辻(仮名)だよ。」
久しぶりの再会だったが彼女はフレンドリーに接してくれた。
彼女はかばんからペンケースを取りだし、
「このシャーペン覚えてる?山田くんがくれたやつ。とても使いやすくて重宝させてもらってますw」
と少し古くなったシャーペンを見せてきた。
三年間大切に使ってくれていたようだ。
時間もあまり無かったから話はソコソコに…ただ連絡先は聞いたんだ。
受験中だったが、メールしてみた。
当時の自分の事や、彼女の事色々。毎日って頻度じゃなかったけど連絡を取り合った。
ほどなくして彼女も俺も志望校に合格を果たした。
俺は中の上の私大。
彼女は国立大。
一度合格を祝いで中学時代仲の良かったメンバで集まろうと話があった。
咲とはここから少しずつ話すようになり、親密になっていった。
この一年間は本当に楽しかった。大学生活も充実していた。友人も出来たし、サークルにバイトに本当に楽しかったんだ。
咲とは大学は違えど近かった事もあり、たまに遊んだり、お茶したりしていたんだ。
話してみると気が合うし、気の強いところもあったけど一緒にいて一番落ち着いたんだ。
夏に入る前に思いきって告白してみた。
恥ずかしそうにはにかむ彼女を愛しく感じたんだ。
そこからはずっと一緒だった。
毎日のように会ったり、バイト代を貯めて小旅行したり…一緒に過ごしたんだ。
初めての彼女だった事もあり、家族にも紹介したんだ。
母親や弟とも打ち解けよく遊びに来ていたんだ。
クリスマスイブにはうちで飾りつけしたりして家族と一緒にパーティーして、楽しく時間は過ぎていったんだ。
母親が過労で倒れたんだ。
昼は銀行のパート、夜はコンビニのバイトでかなり働いていたんだ。
過労から肝炎になりしばらく安静にしてくださいとの事…
親父が亡くなってから俺や弟の学費、それ以外にも何不自由なく生活させてくれていたんだ。
そんな母の愛情は今だに忘れる事はありません。
肝炎のせいか少し黄疸が出ている程度…
バイトもあったので長い時間は居れなかった。
この時母親と最後の会話になるとわかっていたなら、本当に後悔している。
「心配せんでよかよ、すぐに元気になるけんね。」母と交わした最期の言葉だった。
弟からだったんだ、母親の容態が悪化した。
意識が無くなった…
茫然自失だった。
数時間前普通に会話していたし。
急いで病院に向かったが母親は集中治療室の中だった。
劇症肝炎を発症してしまい、数日後意識を取り戻さないまま亡くなったんだ。
私は中部のとある地方で育ちました。
また書き溜しておきます。
読んでいただいてありがとうございます。
劇症肝炎ということは、BかCか。
昔の注射の回し打ちとかが原因だろうな。
B型肝炎のキャリアだったそうです。
過労で弱ってしまい、発症にいたったそうです。
数日前まで元気な母親の姿はあった。
ただ体調は良くなかっただろう、そんな事一つも見せないで俺達の為に働いてくれていた、何も手につかず憔悴しきってしまったんだ
俺と弟の名義で積み立てをしてくれていた。
その通帳を持ってきてくれた。
少額ずつ毎月俺達の為に貯金し続けてくれていた。 母親の亡くなる先月までずっと続いていました。
必要な時は何時でも声を掛けて下さいと上司は通帳を置いて帰った。
葬儀の時は涙一つ出なかったが、上司が帰った後涙が止まらなくなった。
俺と弟は本当に可愛がられていました。
俺よりも断然賢く、将来が楽しみだったんだ。
弟自身もかなりショックは大きかった。
学校を休みがちになった。野球部だったんだがイップスを発症してしまい、レギュラーから外され鬱ぎ込んでいった。
色々な事が大きくのし掛かっていったんだと思う。
私大だった事もあり、頼れる親類筋も無かった為学費やその他諦めていた。
父と母が残してくれた家と幾ばくかの財産。
やりたい事も見つからず、流れるままに入った大学…そんな事に残してくれた財産を使うのが忍びなかったのもある。
最初は奨学金も考えたが、弟の存在も大きかった。
アイツを大学卒業まで俺が支える…当時弟にはそれくらい期待していました。 そんな期待もまた弟を苦しめていたのかもしれません。
弟も少しずつ元気を取り戻していましたが、母が亡くなる前ほど会話はありませんでした。
不思議な体験をしました。
仕事中、急な腹痛に襲われ痛みで仕事も儘ならないので早退しました。
当日の朝まで全く予兆はなく、家に保険証を取りに帰らねばならなかったので、車を走らせて帰宅しました。
弟かな?と思いふと覗くと手首を切り、気を失っていました。
大量の血と青ざめた弟。 とっさにタオルで止血して、病院に連れて行きました。弟の意識が戻り「お兄ちゃんごめんね…」と弱々しい声で謝ってきました。
私もこの時必タヒになっていたのであまり記憶がありません…お前までおらんくなったら、お兄ちゃんは一人になる。
学校、母親のタヒ、悩み色々あったんだと思います。その事に気づいてあげれなかった自分が情けなくなり涙が止まらなくなってしまいました
やはり心の傷も大きかったんではないかと思います。ただあの時早退しなければ、弟は亡くなってたかもしれません。
お兄ちゃんを一人にせんで…弟の前で号泣してしまいました。
ごめんね…兄ちゃん。
こんな事は二度としないから。本当にごめんねお兄ちゃん。
高校卒業後は就職すると言い張っていましたが、説得の末進学を決めてくれました。
一念発起し勉強に集中しはじめました。
本音は塾に通わせたり、講習に行かせたりしたかったですが、学校以外のほとんどの時間自宅に籠り勉強を頑張っていました。
咲も勉強を教えてくれたり、自分の使っていた教材など持ってきてくれて弟をサポートしてくれました。
仕事で中々会えない日々が続きました。
一年前までは毎日のように会って、一緒にお茶したり、デートしたり。
二人で過ごした時間が懐かしく、そして切なく感じていました。
それでも咲は待っててくれました。
「辛いかもしれないし、大変なのはわかっているよ。でも私に…私だけは本音は吐いて欲しいよ。」そう言って励ましてくれました。自分の感情を上手く表せない…でも咲に対する感謝と想いは日々大きくなって行きました。
ただ離れた地方だった、どうしても家から通わせる事も出来ず、父の旧友である、長谷(仮名)さんに相談した。
長谷さんは全国区の不動産関係を扱う職種でその地方でどうにか安い家賃で借りれる賃貸を探してくれるように懇願した。
長谷さんは色々な物件を紹介してくれたんだ。
「俺のうちから通えばいいよ!下宿と思って!大学からは遠くないし。かみさんの飯は上手いぞ。健太(弟)に小遣いくらいはやるよ。」
長谷さんは父が亡くなった後も本当に良くしてくれました。
さすがに気も引ける、丁重に断りをしようと考えていたが、弟の卒業と同時に引っ越しの手続きまで手配し、弟を四年間面倒を見てくれました。
母親の残してくれた積立てで何とか入学金や授業料を払うことが出来ました。 弟も弟でバイトを始め、長谷家にお金を入れようとしていたのですが、長谷さんは受け取らなかったようです。
勤めていた工場が廃業し無職になった。
バイトを掛け持ちして働いたが正職は中々見つからず、自分の生活面も困窮しはじめた。数ヶ月仕送りも出来い状態だった。
母が僕に残してくれた積み立てを解約して長谷さんの宅を訪れました。
数ヶ月仕送りが出来なかった謝罪と授業料を預けに行きました。
残りの授業料を預け、弟は無事に大学を卒業する事が出来ました。
この時、咲は大学卒業後公認会計士の資格を取り、大手企業に就職して俺を物心両面でサポートしてくれていました。
ただこの時フリーターの俺と、大手企業に勤める咲…むねの奥に劣等感はありました、ただ咲にその事は言えず、職探しやその日生きる事で精一杯でした。
休憩中に少しずつ貼ました。
色んな所をハショってしまいました…ちんぷんかんぷんになりそうですが、全て書いて行くと膨大な記録になってしまいそうなので。
仕事が終わったらまた少しずつ貼り付けていきます。読んで頂いてありがとうございます。