「ちゃんと掃除しろw」
「そこで掃除って言うのがね…必要なのは産廃業者だよ」
「威張るなwww」
「なんなら、自分の目で確かめてみる?」
「え………いいの?行っても?」
「いいの?って、俺が聞きたいよ……ほんと、マジで汚いぞ?」
そうか…
でも大量に書き溜めてしまってるんだ…
ありがとう!
想像してたような、ゴミとか洗濯物が散乱してるような不潔さはなかった。
一応、床も部分的には見えてたしね。
ただ、部屋のわりには大きすぎる本棚が一つ。
そこから溢れた本とCDとDVDが、床にうず高く積まれていた。
彼は、読書と映画と音楽をこよなく愛する、かたづけられない男だった。
なるほど…TSUTAYAの倉庫ね。
私は映画は全然詳しくないけど、本は好き。
だからM君の蔵書量には驚いた。
「そっか…高校生のころも読書家だったもんね」
「忙しくて、いまは全然だけどね」
「あーでもこれで、えっちいのとか発見しちゃったら気まずいー」
「そこはひとつ、大人な対応で…」
「……………えええっ!M君、何これ!?」
見つけたのは、えっちいのではなくて、とある画家の画集だった。
私がご予算的にマゴマゴしているうちに
販売終了してしまった限定版が、無造作に床に積まれていた。
「あれ、喪子もその画家、好きなの?」
「うん!しかもフルセットだ~。すげ~」
「まーそういうのに散財できるのが、独身の醍醐味ですよ」
彼はその他にも、高額そうな画集から中古の文庫本までを、ガンガン床に積んでいた。
DVDも、私が全然知らない映画のボックスがいくつも並んでいた。
そして目的のCDはというと、一目で捜索を諦めるのにじゅうぶんな状態だった。
M君への貧乏疑惑は消えた。
これだけ趣味のものを溜め込んでいるとなると、生活苦ということはないだろう。
アパートがボロいのは、趣味にお金を回すためなのかもしれない。
「なんか、久しぶりに自分以外の人が部屋にいるの見てると
部屋の惨状が客観視できて、自分でも引くわ…」
「そこまで卑下することないよ、帰ったら靴下履き替えるけどw
でもこの部屋、なんだかすごい落ち着くんだよねー」
「さては、何もない広い空間が苦手なタチだな?」
「ああ、それだw」
まるで図書館のようなその部屋は、乱雑ではあったけど
それなりの秩序があって、妙なバランスで落ち着いていた。
なんだかそこに、M君の内面が現れているような気がした。
「じゃあ、CDはまた今度ってことで、本日はご満足いただけましたかね?」
「うん、あのねM君、お願いがあります」
ちょっと思いきってみた。
「私、またこの部屋にお邪魔しちゃ駄目かな?」
「駄目だよ」
「えっ、即答かい!」
「うん、ごめんね」
「じゃあ、私と友達になるとかは?」
「…友達」
「うん、友達。その先の下心、全くない」
「友達……は、どうかなあ」
M君は、飲み会の最初のときに見せたみたいな苦笑いをした。
「え、なにそれ。じゃあ彼女なら?」
「さっき自分で下心ないって言ったじゃないかw」
「うん、だって本当にM君の彼女になりたいとかじゃなくて
ただ単に仲良くしたいと思ってるんだよ。
M君、M君と私は、かなり気が合うよ」
「お。さすがですね、その押しの強さw」
この「さすが」は、私の職業柄をさしての言葉です。
押しが強いってより、言いたいことは言っちゃわないと気が済まないだけなんだけどね。
「だけど、今は仕事じゃないからね…
断られても押しかけたりしないから、大丈夫w」
こういうときの立ち直りの早さは、喪女歴の長さが物を言います。
さーて、あのCM曲のタイトルがわかっただけでもヨシとしよう、
なんて思いながら、なるべく上手にさっぱりと立ち去る準備をしていたら。
俺、友達って、”なりましょう”ってなるもんじゃないと思うんだ」
そんなこと言われなきゃ、こんなこと言う気なかったんだけど。
「うん、まーそうかもしれない。
でも、”増やさない”って決めるもんでもないと思うよ?」
よくわからなかったけど、この会話はM君にとって、なにか重要なものらしかった。
「そっか………ごめん。
なんか俺、面倒くさいこと言ってるな」
「ううん、私が変なこと言い出したからだよ。
こっちこそ、気を遣わせちゃってごめんね!
私としては、今日が楽しかったからオッケーさw」
「CD、見つかったらメールする」
「えー、友達じゃないのに?w」
「………うん」
だけどその後、CDが見つかったってメールがきて、また外で食事して
それからはなし崩しに、なんとなーく呼んだり呼ばれたりして
時にはM君の部屋で、語らったりして。
つまり、私たちはいつの間にか、紛れもない友達関係になっていた。
まあ私としては、最初の望みが叶ったわけだから、何の文句もなかったんだけど。
でもだったら、あの日のM君のきっぱり拒絶は、一体なんだったんだろう……?
という疑問と戸惑いが、私の中になかったわけではない。
だけどそこに触れるのは大人げない気がした。
私はいろんなことをあんまり深く考えない、単純ノンキ。
でもM君は反対で、繊細で思慮深く、ちょっと屈折したとこのある人。
だからきっと、私では思いもつかないことを考えていたんだよ、うん。
ガサツな私からすると、M君のそんな繊細さ、思慮深さは、
時に複雑すぎて面倒で、臆病さを感じさせもした。
前にも書いたとおり、私の好みは、見た目も性格もごつくて男らしい人。
イケメンで、優しくて、控えめで、線の細いM君は、その対極。
失礼ながら、私には彼がただの気弱な優男にしか見えていなかった。
同じように、M君だって私のことを
ガハガハよく笑ううるさい女って程度にしか見てなかったと思う。
そんなふうに、私たちは最初、お互いを異性としては全然見てなかったんだ。
それがあることをきっかけに、私の気持ちが大きく動いてしまったのです。
M君の車で、ちょっと遠くの美術展に出かけたことがあった。
外で会うときはいつも現地集合、現地解散だったので
おー、なんだかデートみたいですぞ!と、ちょっと浮かれた私。
それでバチでもあたったんだろーか。
帰りに寄ったコンビニで、私は自分で出したゴミを捨てようと、鍵を借りて車に戻った。
ゴミの入ったビニール袋を取って振り返ったら、隣の車に袋が当たってしまった。
そしたらその車から、わかりやすいDQNが降りてきた。二人も。
「すっ、すいません!」
「傷がついただろうがああああん?」
「え、え?」
DQNはぶつけたところを見てもいない。
し、しまった~、からまれた…
おどおどしてるところへ、店内からM君登場。
「どうしたの?」
「え、あんた、こいつのツレ?」
「そうだけど、なに?」
M君にちょっとたじろいだけど、方針は変えないみたいだった。
私が言うのもなんだけど、優男代表みたいなM君です。
いける、と思ったんだろうな。
「こいつがその袋を俺の車にぶつけたんだよ。傷がついたから、直してもらうから」
「ぶつけたの?」
確認してくるM君。
「うん…ちょこっとぶつけちゃった…」
「なにが入ってるの?」
はい。お菓子の空き袋と、空のペットボトルです。
「これで傷がつくって、一体どんな勢いでぶつければ……」
M君はDQNの車のわきにしゃがみこんだ。
私に尋ねるM君。
「えーと、たぶんこのへん…?」
「どの傷だかわかる?」
DQNに尋ねるM君。
「そんなんわからねーよ。そこらの傷、全部だよ」
「一度ぶつけただけでこんなに傷がつくはずないだろ。どの傷かって聞いてんの」
「わからねーから全部直せっつってんだよ!」
「なんで因縁つけといてンなこともわからねーんだよ!」
………逆ギレとな!?
下から睨むM君、ああン?って感じで詰めよるDQN。
へにゃちょこ優男だと思ってたM君だけど
そうやって凄むと、顔キレイなぶん、怖いです。
それにしても、なんか見たことあるなあ、この構図。
………ああ、龍虎図だ。
「ぶつけたって認めといてバックレる気かよ!」
「直さねえとは言ってねえだろ、こっちでつけた傷はどれだって聞いてんだよ!」
な、なに言ってんの、M君!?
やめてー!お願いだから煽らないでー!
争いより愛を、喧嘩売るより通報を!
と思ってたら、DQNは二人でなにか相談しはじめた。
俺ら、ヤクザの知り合いいるから。いまから呼ぶから」
えっ、リアルで初めて聞いたけど…本当に言うんだ、このセリフ!
「わかった。待つから早く呼んで」
えっ、待っちゃうの!?!?
M君は立ち上がると、私の手を引いて車とDQNから少し離れた。
するとDQNは、また二人でごちゃごちゃなにか言ったあとに
「今日はもういいよ、めんどくせー」
とか言いながら、車に乗って行ってしまった。
ぽかーん…。
いないんだ、ヤクザの知り合い…
「ごめんね!迷惑かけて本当にごめん!」
「べつに喪子のせいじゃないよ。それより、大事にならなくてよかった」
「あのー……M君、ひょっとしてこういうのに慣れてる…?」
「人聞き悪いなー。内心ビクビクでしたよ」
「でも、やけに落ち着いてなかった?」
「うーん。俺、高校卒業してから、あちこちふらふらしてた時期があるんだけどさ」
「ああ、バックパッカー?」
「てほど本格的でもないけど。
それでトラブルに巻き込まれたときの対応覚えた」
「抵抗しない、同意しない、相手と同じ人格になる」
が鉄則だそうです。
「だけど、直さないとは言ってないって、同意になるのでは…」
「でも直すとも言ってないし」
「き、詭弁だあ…」
「結果オーライ」
「でもさ、本当にヤクザ呼ばれたらどうするつもりだったの?」
「まー呼ばないでしょうよ。
素人相手にタカリ失敗しましたって言いふらすことになるし。
それよりも、あそこで弁護士呼ぶぞって言われる方がよっぽど怖いわ」
確かにそれが彼ではあるんだけど、でも、それで全てじゃあなかった。
思いがけず肝が据わったところを見せられて
私は初めてM君を「かっこいい」と思った。
サビついていたマイハートが、ゴロンゴロンと動き始めた。
吊り橋効果もあったんだろうけど、私はM君に恋をした。
これまでそうして何度となく玉砕してきたわけですよ。
でもこの時は、そのまま突っ走ろうとする自分を引き止めるものがあった。
それはチラチラと見え隠れする、M君の屈折した思考の根っこにあるものだった。
一体それが何なのか、私には全く理解できていなかった。
そんなミステリアスなところもステキ…
なんていう乙女な恋愛観が、残念ながらない私には
彼のミステリアスさについて、一つの可能性が思い浮かんでいた。
M君ってさ、ひょっとして…………ゲイなんじゃないの?
別に彼は、ナヨナヨしてるとか、オネエっぽいとかじゃあない。
だけど、普段の動作や食事のマナーなんかに
男性特有なワイルドさっちゅーか、下品さがなかった。
ごめんね、男の人を貶しているわけじゃないよ。
でも私はそういうところに、男らしさを感じるわけさ。
明日から仕事でさ…すまん…ホントはメッチャ読みたいんやけど…
残念、それはムリ
おことわりしたとおり、ものすごく長い
私が友達になりたいって言ったときの即答拒否にも、納得できる。
女慣れしてる様子は単なるカモフラージュで
ほんとは私と二人きりで食事するのに抵抗があったんじゃ?
私が「彼女になる前に、まずはお友達から」と企んでると思って、警戒したんじゃ?
自分がゲイだとバレたくなくて、あんな曖昧な態度をしてたんじゃないか?
だけど私にその気がないとわかって、気を緩めてくれたんじゃないだろーか?
それに、あの顔と性格で女っ気が全然ないっていうのも、ずっと不思議だったんだ。
過去の恋愛話を聞いたら、「いやまあそれなりに~」
好みのタイプを聞いたら、「気に入れば誰でも~」
なんて、いつもゴニャゴニャ誤魔化されてしまったし。
そんなのも、M君がゲイならば、なるほどな反応だった。
いくらなんでも、三十路目前でゲイに恋するのは、ダメージ大きすぎ。
傷が浅いうちに確かめなくちゃ…
でも必死に隠してる本人に直接聞くのは、やっぱり、ちょっと…
とAちゃんにこぼしたら、「いい肴になるな!」ってとこで
美術部女子会が開催されることとなったのでした。
彼氏ほしい….
「あれ?でもあんたの初恋の人、山崎努じゃなかったっけ?」
「それはそれ、これはこれだよ!」
「はー。人は顔じゃないんだねえ…使い方間違ってる気がするけど」
「でもそのDQN話はわかるなー。それは惚れるかも」
「それにあいつ、化けたよねえ。ずいぶん丸くなってたもん」
「高校生のころは、みんな遠巻きにしてたもんねえ」
「そーいえばはじめて話したの、あいつがモリエール殺したときだったなw」
準備室にあったモリエールの石膏像を、M君が落として割ったって意味ね。
「あったねー、そんなこと!」
「そうそうw
O君がモデル頼んだときも、M君最初いやがってたのに
O君贔屓だったしまピーが、モリエール殺しで脅迫してさ。
無理矢理モデルさせられてたんだよ、あれw」
「なに?仲人ってことは、M君とO君はそういう関係なの?」
「知らなーい。でも妄想するには一番手っ取り早いじゃーん」
「ちょっとー、根拠のないこと言わないでよー。
まだそうだって決まったわけじゃないんだし…」
「でもあれだよ?卒業してから、M君はO君ちで半同居してたみたいだよ?
こないだD君が言ってた。M君に連絡したい時は、O君に電話してたって」
「ほー。M君がO君ちに押しかけてたってことかあ。
で、今やO君が一児のパパってことは、M君の片想いかあ…」
「あ、でもそのころは、O君フリーでM君には彼女いたってさ」
M君との個人的なお付き合いの中で、私では全く得られなかった情報を
たった三時間程度の飲み会で、ここまで把握してるなんて。
「なんだ、よかったー。M君、彼女いたんじゃん!」
「えー?でもほら、その後発症したかもしれないしー」
「そーそー、別に相手はO君じゃなくてもいいわけだしね」
「そんなあああ…」
「まあなんにしても、あの顔ならゲイでも納得するよねー」
「えっ、そう?なんかそれにしては、色気が足りなくない?」
「あー色気かー。色気はないなー」
「でもそれだったら、ゲイには全員に色気があるのかって話よ」
「だって、M君がどっちだろうと、私らには全然関係ないもん」
「あんたねー、こんなとこでウダウダ言ってる前に
確かめる一番手っ取り早い方法があるでしょ?」
「そうだよ、とっとと告白してきなよ」
「うん。飲み会のときは、なかなかいい雰囲気だったよ?」
「「「頑張れ喪子!彼氏いない歴=年齢に終止符を打つんだ!(そして報告よろ)」」」
まあ、そうするしかないってことはわかってたんだけどさ。
彼女らに背中押してもらった結果、私はやっと本来の玉砕精神を取り戻して
ある日、M君の部屋でアタックした。
「はいはい、なんでしょう?」
どうせまた、あの本買ったら貸してでしょ?みたいな態度のM君。
「好きです。付き合ってください。
友達としてじゃなく、男性として好きになってしまいました」
「…え」
まさに、鳩が豆鉄砲な顔になるM君。
いまさらのように心臓がバクバクしてくる私。
「え、え…え、だって、えええ…?」
うろたえるようなM君の声。
相当マメデッポーだったのか、しばらく言葉が出てこないみたいだった。
……喪子は俺のこと、男として見てなくなかった?」
はい!?
バレてたの!?
「うん、まあ……ごめんなさい。最初はそうでした」
「だよね?それがなぜ?いつから?」
「DQNにからまれたときから…」
「え?…あー、あれね…」
「あのとき、かっこいいなと思って…」
「ふうん、そっか」
そっけない返事が悲しかった。
私にとっては大きな出来事だったけど、M君にしてみれば大したことなかったんだな…
と思ったんだけど。
M君、手のひらで顔をパタパタあおぎだした。
表情は変わってなかったけど、赤面してたっぽい。
「う、うん、突然ごめんね」
「いえいえ………あ、そっか。
俺、女の子から告白されたの、初めてなんだ…」
…え?
な、なにそれ、どういう意味なのそれ!?
「だだだだだって、いたんでしょ彼女!?女の!!」
「いたけど…いつも俺から告白してたから」
あ、なーんだ、そういう意味かあ!
ほっとする私。
だけどM君はそのまま黙りこんで、私がいるのを忘れたような長考に入ってしまった。
「あのー、それで、どうでしょうか」と先を促す私。
「あっ、うん、あの…返事はちょっと…待ってもらえる?」
え。
な、なんで待つの?
やだ、死刑宣告を先送りにされてるみたいで、やだ。
いますぐここで返事してほしい、たとえ断られても。
…なんては言えず。
「はい、わかりました」
私はこの日、すごすごとM君の部屋を後にしたのでした。