幸い?と言うか、俺も妻も兄弟姉妹が結婚していて、既に甥姪もいる。双方の両親にしても殊更「孫の顔が見たい」と言う話は無かったから、
お互いまだ20代で、これからゆっくりと気持ちを解きほぐして、その内にいつかは、と言う気持ちで結婚に至った。
前述の通り子供はその内に、と言う考えだったので、セッ◯スの回数は少なかったと思う。確か月に一回あったか。
その少ない機会でも、やはり妻は気分が悪くなってしまう。お願いだから夜の話を振ってくれるな、と遠回しに言われる事も度々だった。
もう少し待って欲しい。相応しい奥さんになるから。一緒にいるだけで満たされていた。今となっては、単なる庇護欲だったのかもしれない。
それなのに妻は職場の歓送迎会で、「かねてから良い感じ」だった既婚男性と寝た。その後も続けて逢瀬を重ね、何遍も寝た。直に自宅でも事にんだ。
自信もプライドも愛情も、全部一遍に粉々に叩き潰された。残骸が胸の奥で押し固まって、一生涯飲み下せない溜飲になった。
事態が表向きになり、家の夫婦生活から夜の事情までもが明らかになった。義父も義母も激怒した。殴られる妻を庇って何度か殴られた位だ。
義姉は「ウチの子に触らないでくれる?変なの伝染ったら困るから」。義妹が心底軽蔑したように「あんな事言って、本当は喜んでたんだ?」。
男の奥さんからも厳しく糾弾されて追い詰められて、外聞を恥じた会社では降格と出向が待っていた。妻の居場所は無くなった。
叩きのめされる妻を傍目に見ながら、俺は抜け殻だった。起きて無理矢理に朝食を詰め込み、会社では努めて誰とも口を聞かずに仕事をこなした。
帰れば萎れた妻の作った食事を機械的に流し込み、男と妻がつかった風呂に入りたくないのでシャワーを浴びて黙って寝る。
上司に手を掴まれて、無理矢理に心の外来を受けさせられるまでそんな繰り返しだった。ちゃんと三食喰っているはずなのに、体重は20㎏近く減っていた。
薬を飲んだら余計に厭世観が強くなった。一番あの世と近かったのは、間違いなくあの時期だった。紐状の物は全て隠された。髭剃りすら隠された。
鏡を見てみた。間違いなく俺じゃない誰かが狂気を伴って笑っていた。怖い、と心底思った。自分の病気にしっかり向き合う気持ちになった。
誰でもそう思うよな。半分意地。半分執着。格好悪いね。
異常行動が収まらない俺に怯えたのか妻は夜間家を出るようになった。興味が湧かなかったから行き先は聞かなかった。まともになるのが先決だったから。
受け答えがしっかりし始めると、係わる人全てに離婚を勧められた。その時、やっと発覚時まで時間が巻き戻った。妻と話すようになれたのもその頃。
当然罵る事もあった。殺してやると言った。薬中の分際で、それで妻がいなくなれば困る事になるのは自分なのに、一晩中、倒れるまで罵った。
妻は仕事の他にバイトも掛け持ちしていた。ほとんど睡眠も取らずに働いていた。何故だか俺の知らない間に男の奥さんとも和解していた。
寝て、起きる事を繰り返して、その度に薄皮が少しずつ剥がれるように、言葉から棘が消えて、反比例して家の中で笑う事が増えていった。
妻からはそうするように言われたが、日常生活や行動に制約を付けるつもりはなかった。奴隷でもあるまいし、そもそも意味はないと思ったから。
誘われるがままに体も合わせた。でも、やはり途中で気分は悪くなるようで、何度も中断。そん時はどうしようもない激情を抑えきれなくて、何回も家出した。
俺の事は拒絶しておいて、あいつとは何回もしたんだろって気持ち。俺を気遣う言葉を言う度、媚びてるんじゃねえよ!と怒鳴りつけてやりたくなる気持ち。
家の中限定の内弁慶、あの頃俺は喜怒哀楽の激しい気違いだった。出て行って欲しい気持ちと、見捨てないで欲しいと言うしみったれた甘え心との相克だった。
脳卒中の薬がフラッシュバックを抑える作用があると聞いた。当時その話を聞いていたなら、例え地球の裏にでも手に入れに行っただろう。
もうあれからもう5年になる。まだ完全に薬は手放せないし、おかげか夜の生活は皆無になったけど、以前からは信じられないほどに穏やかな日常だ。
妻の言動に不信感を持つ事、腹を立てる事、未だにある。正直に嫌だ、腹が立つと言う。妻も俺のだらしない所を指摘する。何か死んだ爺さん婆さん達みたいだ。
妻を許せているだろうか。妻は俺に許して貰えたと思っているだろうか。気分が落ち着いたときに、こんな事をゆっくり考えられるようにもなった。
件の既婚男性は、俺がどうかした訳ではないんだけれど、もう亡くなっている。俺としては関わる気もなかったけど、結果として俺が関わる事になった。
あまり大っぴらには言えない。ただ、特殊清掃のご厄介になったと言えば、解る人がいるかもしれないな。
確か2、3歳の小さな娘さんがいた。今頃小学生かな。奥さんはどうしてるんだろうか。俺がそう思う事自体、彼女にとっては禍々しい事で、捨てたい記憶なのかも知れないが。
子供を捨てる、いやさ、妊娠した妻を捨てる男がいるなんて。瘡蓋を無理矢理に剥がされる嫌な気分だ。現実ではごくありふれた事なんだろうが。
もう少し我慢する事は出来なかったんだろうか。同情するだけで何もしない人ばかりでなく、激しく叱咤しながらも背中を押して立たせてくれる人だっていただろう。
何で人の話を吟味しなかったんだ。側にいても同情しか出来なかったかな。でも、俺には望んでも手に入れられない物を得たはずなのに。
もちろん、再構築は人それぞれだし、色々なやり方があるのだろうけど、少なくとも前に進むのではなく、一カ所に止まったまま動かずにいるような気がする。
本当に、子供が欲しいのであれば、今のままでは駄目だと思う。
人間だれでも、あれも欲しいこれも欲しいは無理なんだが、その中で何が欲しいのか、見つけて行かなくてはならないのではないかな。
それでも、嫁さんと今の生活をしていくことを望むのであれば、子供は諦めて、子持ちを羨ましがらない。
そのぐらいの割り切りは必要だと思う。
そうは言うけど、子供の頃の性的トラウマで、とか言われてやろうとする度吐くんだよ、そんな相手に浮気されて、
そっちとはできますって、
そりゃ病むし、病むと足踏みしてるように周囲からは見えるもんなんじゃないの。
でも確実に時間薬は効いてるだろうし前には進んでる、他人には分からない速度でってだけでしょ
これからもっと良くなったら、夫婦カウンセリングとか受けるといいかもしれないね。
余談だけど、私も4歳の頃性的虐待にあっていて男の人に急に触れらると蕁麻疹が出る体質だよ。
夫としか経験がないから分からないけど、夫とは出来たし、出来ると分かってから結婚したんだけど、
サレになってからは蕁麻疹復活したんだよね。
吐くのも一緒。
でもカウンセリングで本当に楽になったよ。907ご夫妻には楽になって欲しいな。
己の器wを見誤るのは男が多いねー
俺が私がなんとかタイプはダメダメ結果になりやすい気がする
イヤわたしもそのタイプなんでw
そのまま一緒にいても好いことないんじゃないか? 人生80年だよ