定年退職の祝いの席で初めて知った。
ずっと会社勤めで通していたから全く教えられなかったし、けの字も家では出たことはない。
普通の会社で働いてるよっていう言葉でサラリーマンで事務の仕事って勝手に想像してた。
今なら体を鍛えたりしていたのも納得できるし、家を空けるのもちょくちょくあった。
ずっと会社勤めで通していたから全く教えられなかったし、けの字も家では出たことはない。
普通の会社で働いてるよっていう言葉でサラリーマンで事務の仕事って勝手に想像してた。
今なら体を鍛えたりしていたのも納得できるし、家を空けるのもちょくちょくあった。
人の心を疎かにした罰だ。
軽んじてきたものの重さに気付かないまま潰されてしまえ。
トイレに行ってて戻ったら、新幹線はもういなくて夫もいない
慌てて電話したら、お前が時間にルーズなのが悪い 次の新幹線で来いだって…
新潟の中でもさらにド田舎の、住所に「大字」と付く実家で二十四歳まで暮らした。
ベビーブームだったので、ド田舎でもそれなりに同年代の子供たちは周囲にいて
お隣(と言っても徒歩二分)は親のイトコの家。
その家には二歳上の息子がいて、なんでか私はその子と将来結婚することが決まっていた。
親は悪人ではないけど「お前はこういう生き方をするものだ」と決め付けてきて疑わない人。
うちの弟がサイマーの上、家庭内暴力者できち。
弟の借金が露呈する前(家庭内暴力者ではあったが)
私に暴力をふるったことはなく、金の貸し借りはいままでしたことがなかった。
(学生のとき、1万くらい数回私が借りることもあった。約束の期日には返していたけど)
そんなおり就職難で、日雇いのバイトをしていた弟が
車が故障したため新しい車を購入したいと言い出した。
「若い頃はいつも週末は誘われたしプレゼントはされたし、よく告白された」
「強引に誘われたり、お誘いがバッティングしたり」
部長が「一人一箱ずつ持って行ってね」と言ってくれたので
一緒に出勤してた同僚と、どの種類にする〜?とか言って選んでたら
普段からケチで有名な他の部署の人が話聞いてて
「私もくださ〜い」とか言って、何箱も手に取る。
十年くらい前にボケて介護が必要な状態になったんだけど
身体は元気で要介護度が低いので特養からは門前払い
家では被害妄想と暴力が酷くて主介護者の母も
フォローしてた私・私妹もかなり追い詰められてた
母は祖母との心中まで考えてた