実家の鶏は、前は6羽いたけど次々に寿命を迎え残り1羽だけになった。
私は、鶏とはいつも下を向いて餌探しながら歩いているものだと思い込んでいたので
うちの雄鶏(コタロー)が、本当はいつも寂しくて俯いてた事に長く気づかなかった。
最後の1羽になって1年位経った頃、コタローの首辺りに白髪が混じってきていたので、
『この子ももうすぐ寿命なのかもね…』と切なく思っていた。
実家の鶏は、前は6羽いたけど次々に寿命を迎え残り1羽だけになった。
私は、鶏とはいつも下を向いて餌探しながら歩いているものだと思い込んでいたので
うちの雄鶏(コタロー)が、本当はいつも寂しくて俯いてた事に長く気づかなかった。
最後の1羽になって1年位経った頃、コタローの首辺りに白髪が混じってきていたので、
『この子ももうすぐ寿命なのかもね…』と切なく思っていた。
1ヶ月以上前から手続きして当日受け取りに行ったら、その商品が売り切れだったのか
売り場に無かったらしい
会計してるとお客のおばさんが、
「これ探してたの、買い占めはよくない数点譲って」と言ってきた
昔、地方の田舎では車がないと生活できない
バスが一時間に一度しか来ない
スーパーが遠い、カラオケがない、コンビニがない
国めなんとかしろ
みたいな特集をテレビで見ては見る度憤慨してた
まだ小さい頃、父がドロ沼フリンの末に離婚した。
母は子供のこともあって最初は再構築を望んだため、
父からの精神的なDVやフリン相手からの嫌がらせに心を病んで、離婚に至った。
離婚後、母は体重が30キロ台まで落ちた。
所謂バリキャリで、仕事が出来た人で社会に認められていたため
母子家庭の控除から外れる程の稼ぎがあった。
我が家は夫婦揃ってお酒好きって事で家を建てた時に
地下室まるまるを結構本格的なバーにしたの。
ここはあくまでもプライベートな空間のつもりで作ったから
夫婦以外は入らせないってルールを決めてた。
小学生の修学旅行で伊勢志摩にいった
昼間のお宮巡りは問題なかったのに夜の旅館のごはんがお蕎麦
蕎麦アレルギーの自分は教師に「食べられない」と言ったが
どうやら好き嫌いと思われたらしく
(アレルギーを説明出来なかったのかスルーされたかは覚えてない)、
「せっかくの旅行に水を差すな」的なことを言われて無理やり口に押し込められた
友達親子4組で出かけた。
ひと組は小学生、年少、一歳児の3児もち、あとはみんな年少1人という構成。
3児もちをAとします。
A兄妹は飲み物とかオヤツとか持ってきてなかったらしく、
私が自分の子の飲み物買とお菓子いに行ったらついて来て自分たちの分まで買わされた。
「父が倒れたから1日預かってほしい。」と言われ預かったが最後、
何度連絡しても捕まらず、
「もしや子供を置いて自殺…!?」と不安になった母が
託児5日目くらいに警察へ通報。