式の前に念のためにトイレに行ったら、
新婦の小学校からの幼馴染という女性数人に囲まれて
「何考えてんの?何様なの?空気読めよ。」と罵られた。
式の前に念のためにトイレに行ったら、
新婦の小学校からの幼馴染という女性数人に囲まれて
「何考えてんの?何様なの?空気読めよ。」と罵られた。
自分はインフルエンザで学校を欠席してた。
欠席中だけど、母ちゃんが学校に不幸があったので休みます。と連絡した。
受けた事務の先生が気を利かせて、お悔やみ欄チェック。
担任に、俺君のうちで不幸が、名前が俺君何ですけど。
この時点で、家に電話がたくさんあったらしいが、誰もいなかった。
そして、通夜には学校から花輪と校長、担任まで来たそうだ。
自分はおばさんとこで隔離されてた。
在校生がいきなり氏んだと思った学校も修羅場だけど、通夜に行ってみたらヨボヨボのじいちゃんで、参列した校長、担任も修羅場だと思う。
ただ、ひいじいちゃんは学校を作った時にグラウンドとか、石でゴロゴロしてたのを普請したとか、通学に便利なように橋を作る陳情をしたとかよく聞いていたので、校長が来てくれたのは、良かったと思う。
担任はおれの母ちゃんに、ツンデレだとばれた。
登場人物
俺(当時25・地元リフォーム会社勤務)嫁(当時24・妊娠6ヶ月)
元嫁友A(当時34・妊娠6ヶ月)A夫(当時41・某車メーカー勤務)
まぁ最初の出会いは当時住んでいた市で開催された両親学級だったんだ。
席が隣というのもあって、お互いの嫁さんたちがチョコチョコと会話していたら、
どうやら家も近所で掛かりつけの産婦人科も出産時期も一緒ということで軽く意気投合。
そこから嫁さんたちはアドレス交換していて、じゃあ俺ら旦那同士もとアドレス交換。
今思えばこの交換が後々来る不幸に繋がるなんて当時はまったく思わなかった…
私の知り合い(友達レベルではない)の、不幸だったらしい結婚式。
新郎ウッキウキな表情、新婦はどよーん。
新婦の仲のいい友達から事情を聞けば、新郎は新婦のものすごいストーカー。
挙式当時新婦は29歳だったのだけど、新婦が17歳のころからストーキングされ、もうとにかく地獄の果てまでついてくる状態だったらしい。
それにとうとう耐えられなくなった新婦が新郎との結婚を決意。
「結婚すればストーキングされなくなるかもしれない」という理由だった。
周りはそんな理由で自分の戸籍を汚すなんてと反対したけど、新婦はもう、そんなことはどうでもいいくらい疲れ果てた様子だったそうで。
私にも結婚しましたハガキが来たけど、一枚のハガキに何種類もの写真(どれも新郎ごきげん、新婦不機嫌)が散りばめられ、気の毒に・・・と思っていたけど、4年後くらいに離婚した。
一緒に住んだらストーカー新郎が新婦に飽きたらしい。
新婦の離婚の申し出を普通に受け入れ、離婚。
子供もおらず。
「もっと早くにこうしておけば良かったーー!」と新婦の表情は見たことのない晴れ晴れとしたものだった。
私が新婦と出会ったのは新婦が20歳超えてからのことだったので彼女の本当の笑顔というものを初めて見た気がしたよ。
その結婚式の参加者は偶然にも甲殻アレルギー持ちが多く、新郎上司、新郎恩師、新婦父親、新婦友人の4人のアレルギー持ちが参加してた
新郎は恩師から何度も「俺は昔カニを食べて死んだ」話を聞かされており、新婦は父親と親友という近い人間がアレルギー持ちであったため、新郎新婦共にアレルギーの怖さは十分理解してた
だからプランナーには衣装や費用などの話より「エビカニ料理は出すな」ということを再三申告していた
そして式当日
予想外というか予想通りというか料理にエビが混入していた
それも見た目でわかるものでなく、すり身にして肉団子にされたエビが
対策は万全だと聞いていたため何の疑いもなく料理を食べていた新婦友人が苦しみのたうちまわった
ざわつく会場とその会場に響き渡る「えびぃぃぃぃぃ!!」という新婦の叫び声
俺の結婚式の話し。
当時24
新婦23
結婚が決まり親に挨拶したいと言うと、虐待やなんやらで家族とは絶縁した。と聞かされ信じた俺。もっと疑うべきだ
俺の親もその話しを信じて、「これからは私達が本当の親だと思ってね。お前(俺)も○○さん(新婦の事)を大切にするんだよ」なんて言っていた。
結婚式は、新婦の希望で俺達家族だけでのささやかな式にした。
ひな祭り生まれだったので、「ひなこ」という響きの名前にしたくて、名付け本に乗っていた中から、字面がいいという理由だけでこの名前を付けてしまいました…
言い訳をすれば、名付け当時はキラキラネームといった言葉がまだなく、名付け本にも変な名前は乗っているとは思っていませんでした…でも、普通の人だったら「妃」の入った名前は避けますよね。
娘に直接、文句を言われたことはありませんが、もし自分の名前が気に入っていなかったらと思うと申し訳ないです。
また父に電話しました。
何だか携帯を持たせてもらってから一番電話してるかも。
私には人の命に関係する責任ある仕事は向いてないと思うから、高校行きながらやりたいことを見付けるって言った。
父は「必ず看護学校に行きなさいではなく資格を取るのに自分で授業料を返しながら働ける方法があることを教えたかっただけだよ。
もちろん自分でやりたいことを見付けたらいいんだよ。」って。
高校出たら自分で責任持って頑張りなさいってことだよね。
あと父は日曜日に来てくれるそう。
自分のことで何かいっぱいいっぱいでまだ披露宴さん読んでなかった。
ごめんなさい。