私は京都生まれの京都育ち
父方の祖父母は二人共被爆者
母方の祖父母は二人共被差別部落出身
だけど結婚の話が出るまでその事はまるで知らなかった
相手が結構大きな家の長男で、相手の親が調べてくれたらしい
私の両親は共働きだったため、生まれてから小3くらいまで祖父母の家で過ごすことが多かったが
四人ともそんなことは私に一切話さなかったから知らなかった
四人とも若かりし頃はそれなりに差別を受けたりしていたそうだ
父方の祖父に至っては精神が壊れていた
私は京都生まれの京都育ち
父方の祖父母は二人共被爆者
母方の祖父母は二人共被差別部落出身
だけど結婚の話が出るまでその事はまるで知らなかった
相手が結構大きな家の長男で、相手の親が調べてくれたらしい
私の両親は共働きだったため、生まれてから小3くらいまで祖父母の家で過ごすことが多かったが
四人ともそんなことは私に一切話さなかったから知らなかった
四人とも若かりし頃はそれなりに差別を受けたりしていたそうだ
父方の祖父に至っては精神が壊れていた
数年前、友人のA子に彼氏が出来た
第一印象はのほほんとした優しそうな人だったけど、実際はとんだDV野郎だった
A子が段々やつれていくのを見て心配になった私と友達4、5人でA子の家まで様子を見に行くと「彼氏から暴力を振るわれている」と泣きながら初めて聞かされた
(最初は悪い病気に罹っているのかと思ってた)
何年か前、買ったばかり新古車に乗って、交差点で右折待ちをしていた。
ちなみに季節は冬、場所は北の国。私の車は先頭で、後ろにずらっと右折待ちの車が並んでた。
冬道走った人ならわかると思うが、この時期は路面状況が悪いので、赤信号とか青信号はあってないような感じ。
どういうことかというと、たとえ信号が赤になったとしても、安全に止まりきれない距離と判断して、
猛スピードで交差点駆け抜けていく車が多い。圧雪アイスバーンだからね。
勘助との出会いは、当時のバイト先だった。
私がバイトを始めた約1年後に勘助が採用され、休憩とかで話すうちに仲良くなっていった。
当時彼氏がいたけど上手くいってない時期で、気晴らしに色んな人と食事行ったりしていて、誰も捕まらない時だけ勘助を誘っていた。
勘助はTシャツが似合わない貧弱体型&ブサメンで、どこからどう見ても非モテオーラが出ていたから、誘う優先順位は低かった。
姉は昔から学校やご近所さんからも評判の優等生、というか良い子の見本みたいな子供だった。
弟の俺にもメチャクチャ優しくて、俺の好きなおかずやおやつが出た日は必ず
「困ったな、お姉ちゃん給食食べ過ぎちゃってお腹いっぱい…かわりに食べてくれると助かるな」
などと言い(今なら解るが嘘)俺がパクパク食べてる姿を嬉しそうに見てた。
従姉27歳、新郎40歳
新郎は再婚とは聞いていた
披露宴の最後のほうで新郎が全員にお礼のスピーチをする時
突然「この新たな門出に一番祝って欲しい人を呼びました。
姉の元へ養子として出していた一番最初の妻との子供たち
この機会に引き取って新たな家庭をつくっていきたいと思います」みたいなことを言い出して
こちら側の親族ポカーン
ついでに花嫁もポカーン
母が氏に際に
「兄がいる。父は違うが、あなたの唯一肉親。○○と言う施設に当時預けた。」
と教えてくれたらしく俺を探したらしい。
俺の親父は毒親で施設には母が親父の手から逃すために入れくれた。と施設の先生から聞いてた。
中に入ると坂田利夫みたいなオッチャンがいて、マットにうつ伏せになるだけ。
まずは夫がうつ伏せになると、坂田利夫はおもむろに「木槌」で腰を殴り始めた。
日曜大工の音と歯を食いしばりながらの夫の悲鳴。
骨を殴る音というのを初めて聞いた。
「カレーなんて誰でもできるだろwww」と軽はずみなことを言ったのが今でも夫婦での笑い話。
カレー大好きだから今でも幸せ。