孫ラブだが私のことはどうでもいいウトメ
一人っ子なので義実家によると際限なく甘やかす
それで
「いいじゃない、後でデザート食べれば差し引きゼロになるって」
と言った。
孫ラブだが私のことはどうでもいいウトメ
一人っ子なので義実家によると際限なく甘やかす
それで
長女は少しアトピーが出る子だった
赤ちゃんの頃は、おへそを細い綿棒でお掃除しないと中が炎症起こすことが多かったけど
成長するにつれ、耳ぎれとか、肘や膝の内側の柔らかいところにプツプツできるとかくらいで、広範囲にカサカサって程ではなくなってきた
医者にも軽いほうだから大人になったら治るんじゃないかって言われてて、顔や頭がカサカサブツブツならなくて良かったって思ってた
旦那も小さい頃アトピーだった
乾燥肌に近い感じの症状で、今でもベビーローション塗らないとすぐカサカサする
私は疲れてたり生○前なんかに青背の魚や生の貝を食べると顔にプツプツができて痒くなる、これも多分軽いアレルギー
遺伝しないで欲しかったねえって言いながら、体調や食べ物には気をつけてた
長女3歳のお誕生日のこと
別居のウトメと同じく別居の私の両親呼んで、ご飯会な感じで祝ってた
長女も前々からみんなの好きなお料理は何か、これを作れるかと楽しみにしていた
長女は、ウトメが買ってくれたケーキの蝋燭を吹き消して少しだけ食べると、可愛い飾りのついた両親のお持たせデザートを食べたがった
パンプキンプリンをひとくちふたくち食べた長女の全身が突然、ボンって音がするみたいに急激に赤く腫れ上がった
驚いて病院に行ったら、アレルギーだと言われた
医者は生まれた時からかかってるところだから、体質もよく解ってくれてる
その日に食べたものを全部言って、恐らくパンプキンプリンだってことになった(体全体が真っ赤になるほどだったから詳しい検査は後日だった)
普通のプリンでは大丈夫だったし、カボチャの煮物も大丈夫だったのにどうしてって聞いたら、風邪気味で抵抗力が落ちてたんじゃないかって
元々アトピーなのもあるからそういうものかって納得して、風邪の時に食べさせるものは気を付けようって思った
その時、病院に行ったのは、車を飛ばしてくれた旦那と、後部座席のチャイルドシートに長女を乗せて声をかけてた私、ナビ席にトメ
ウトと私の両親はお留守番だった(というかパニックで忘れてた)
初めての子、初めての孫だったし、お誕生日会だったからテンパった大人が6人もいた
救急車!だの、車で直接のほうが早い!だの叫んでて、大声でびっくりしたのもあったと思う
普段は泣かない、手のかからない子が火がついたように泣いてた
長女はお薬もらって症状もすぐに落ち着いたけど
それからしばらく、パンプキンプリンを買ったお店の商品を食べられなくなったのが
幼心ながらのトラウマなんだろうと思うと胸が痛い
そんなことがあってから、長女の肌に湿疹や蕁麻疹が出ると、どんなに小さな範囲でもすぐに病院に駆け込んだ
深いあばたにならないように、掻き壊して痕にならないように、塗り薬を塗っても痒がる長女に掻かせないようにしてた
神経質だって言われればそうだったかもしれない
でもなるべく綺麗な肌のまま、痕を残さずにアトピーを治してあげたかったんだ
自営であるウトメの会社に雇われていた青年がいた。
私たちの子供が生まれた時に出産祝いをくれたり、
性格の難しいウトメに人権無視のような少ないお給料で
毎日付き合ってくれているという申し訳なさと感謝を込めて
クール宅急便でこちらの地元の銘菓を送った。
(もちろん内祝いは別にちゃんとした)
ウト「あっちの爺ちゃんに似てカワイクナイ」 兄嫁母「アハハ」
戻って席に着く私の立場の無い事このうえない。
積年の恨みも重なり、歩いて15秒程の近距離に住んでますが、絶縁。
旦那は小心者で、「引越そうよ」私に言ってきたりしますが、決行できない。
でも、年始の挨拶に行く気は無いので、いつでも引越せるよう片づけ中。
「嫁子ちゃん、ばあちゃん(大トメ)の看病お願いね」
とのたまうトメ。
「無理です。おばあちゃんにうつしたら大変だし
第一、私動ける状態じゃありません」
と断るけど「いいからいいから」で話にならない。
夫に援護を頼むと
「行ってやればいいじゃん。大分良くなってきたじゃん。
お袋だって介護で疲れてるんだし、たまには楽させてやれよ。」
義兄夫婦が離婚したんだ。大きな声じゃ言えないけど万歳三唱したい気分。
離婚する2年ぐらい前、義兄夫婦が義実家で同居を始めた。
なんでも不妊治療を始めるのでお金がかかるから、家賃を浮かして費用に充てたいらしくて。
義兄嫁さん、それまで正社員だったのを、治療に時間と体力を奪われるので
週3日のパートに切り替えたらしくて、そういう意味でも同居が都合が良かったそうだ。
不妊治療のことはよく知らないので何とも言えないが、ウトメは
多少の援助をしてもいいから同居はちょっと、というスタンスだった。