7月頭、休みを貰って帰省した。
一泊二日、かなり久しぶり帰省だった。
久々に会った家族はみんな優しかった。お姉ちゃんももう怒ってなくて、私の体調を心配してくれていた。
私はこの時来月くらいに、地元に帰る事を家族に伝えようと思っていた。
しかし中々タイミングが掴めず、言えずじまいで、とうとう二日目の夕方になってしまった。
私は居酒屋にいる間、言わなければ、言わなければ、と思いながらも関係の無い話ばかりしていた。
関係の無い話とは、主にマキコさんの話だった。
マキコさんという人が居て、面白い人で、優しい人で、でも厳しい人で
すき焼きやカレーを作ってくれた
クリスマスも一緒にしてくれた
誕生日も祝ってくれた
そんな話をずっとしていた。
お母さんは終始ニコニコ笑って聞いていた。
忙しくて、怒られるけど、自分が絵をかいたコップが売れた。
計算が得意になった。
いつの間にか夢中で話していて、気が付けば、新幹線の時間が迫っていた。
時間が無い、そう思った私は慌てて話を変えて切り出した
「会社の話聞いたよ、もう居酒屋も終わったし、8月に帰ってくるから」
そう言った瞬間、今までニコニコしていたお母さんの顔が変わった。
そして、真剣な顔で言った。
「帰ってきちゃ駄目だよ。そんなに頑張ってるのに、こんな事で帰ってきたら駄目!絶対に後悔するよ」
予想外の反応に、私は戸惑って、でも帰ってきたら家賃いらないから給料そのまま家に入れられるよ、忙しい時は家事も手伝えるよ
とか言っていたら、お母さんに「別にあんたの給料なんてあてにしてないwww」と笑われた。
でも、イマイチ納得の出来なかった私は、学校辞めたのに、よそにいる意味ないじゃんか、と言ったら
「働いて自分で生活して、その上マキコさんみたいないい人に出会えたのに、意味ないなんて言うな、学校だけが勉強じゃないよ」
と言った。
そこで私の時間切れになり、お会計を済ませ駅に向かった
帰りの新幹線を待つ間、お母さんは一緒に居てくれた。
今度こそ時間が無いと思った私は、今度は躊躇わずお母さんに伝えた。
「もうちょっと、頑張ってみる」
お母さんは嬉しそうに頑張って、と言って、また私の忙しい日々は始まった。
なんかこの時期はもう、怒られつつも店長とは結構仲良くなってて
鬼コーチとゆとり馬廘から鬼コーチと頑張るのろまな亀くらいにはランクアップしてたと思うww
そんな夏の終わり
マキコさんからビアガーデンに行こうと誘われた
なんでも、デパートの屋上で長年続いてたビアガーデンで今年を最後に閉まるらしく、記念に行ってみよう、との事だった。
久々に居酒屋の仲良しオールスター全員集合で夕方から集まりビアガーデンを堪能した。
無茶苦茶飲むし、食う集団だったので結構ビアガーデン荒らしみたいになっていた
飲み放題をいい事に、全員両手にジョッキを持っていたww
そんな感じで、夜は更けていき、長年ありがとうございましたみたいなアナウンスがビアガーデン内に流れ始めた
するとその瞬間大きな花火が夜空に咲いた
例年は花火などなく、サプライズのサービスだったという
ジョッキを持ったままマキコさんが
「最後の花火だね」
と言った。
そしてそれは本当に、私にとってこの土地での最後の花火になった。
仕事の方は相変わらず忙しく、順調だったが、実家の方はやはりまだ思わしくなかった。
度々お姉ちゃんに電話を掛けて様子を聞いていたが、どうやらその時はお父さんの体調があまりよろしくないようだった。
来月検査をする、でも1は心配しなくていい、帰ってこいって言ってるんじゃないからね
お姉ちゃんは前に私に怒った事を気にしているようだった。
そんな優しさが、怒鳴られるよりも胸に痛かった。
私の中で、もう一度迷いが産まれ始めた。
やっぱり帰るべきじゃないのか、帰らなければいけないのではないか。
一日に何度もそう考えるようになった。
雑貨屋の仕事終わりに、マキコさんから着信が入った。
修三さんと二人で飲んでいるので参加しないか?
との事だった。
この日店長にコテッコテに怒られ、家の事で悩みまくっていた私は酒なんて飲める状態じゃなかったが精神的にどうしてもマキコさんに会いたくて二つ返事で承諾した。
合流したマキコさん達は既にいい感じで、そのままカラオケに行った。
いい感じのマキコさん達に早く追いつかねば、と思った私は普段の倍のスピードで酒を飲みテンションを上げた。
この時のテーマは
「ブルーハーツとハイロウズしか歌っちゃいけないカラオケ大会」
3時間ぶっ通しで三人でブルーハーツとハイロウズのみ歌ったwww
歌いきったwww
ここまでは、いつも通りの楽しい飲み。ここまでは。
しかし、この後次の店で、私にとってこの土地最大の事件が起こってしまうのだった。
そこでは最初、普段にご飯を食べながら話していた
この時、確か私は一年くらい彼氏がおらず
話題はそのネタだった。
彼氏早くみつけろー
修三の友達紹介するよー
まではちゃんと言葉で聞こえてた。
なんていうか、例えるならバッドトリップみたいな
今まで普通に話していたのに、急に周りの音声が聞こえなくなった、同時に物凄い、何故か分からないけど物凄い不安が襲ってきて、ネガティブな感情がうわーと胸に広がった。
お父さん大丈夫なのかな
お姉ちゃん大丈夫かな
私は帰らなくていいのかな
急にそんな気持ちがどんどん頭を回って気分が悪くなってトイレで吐いた。
普段なら吐いても全部出してしまえばスッキリするのにこの時はどんなに吐いても一行に悪くなるばかりだった。
ついに立ち上がれなくなった。
もしや、これが噂の、急性アルコール中毒
嫌な予感が頭を過ぎった。なんとかしなきゃ、思ったが体が動かない
30分位トイレに篭った所で、トイレのドアが無理やりこじ開けられた
必死な顔をしたマキコさんが居た。
そんな私に、マキコさんは「馬廘!救急車なんかよんだらあんた大事になるよ!タクシー呼ぶから今日は帰りな!」みたいな事を言ってタクシーを呼んでくれたと思う
(すんません、この辺記憶曖昧)
気が付いたら私はタクシーの運転手さんに、「早く降りて下さいよ〜」と言われ、家の前に来ていた。
しかし体が動かない。
エレベーターすら乗れない。
私はタクシーの運転手さんに「病院行って下さい、開いてるとこ、どこでもいいんで」と言って
すこし離れた病院に一人で向かった。結局動けない私を、タクシーの運転手さんが受付まで運んでくれた。
私はこの時、自分は確実に急性アルコール中毒だと思っていたが
私の姿を見た看護師さんは真っ先に私の体を抱え、口元に紙袋を持ってきた
「あんた、自分が過呼吸になってんの気付いてる?」
そう言われた所で、私の意識は朦朧とし始めた。
最後の記憶は看護師さんとの少しの会話
看「今すぐ家族の人に来てもらいなさい、連絡先だけ教えてくれたら寝てていいから」
1「出身こっちじゃないんで一人です」
看「じゃあ、知り合いでも友達でも誰でもいいから!とにかく誰かの連絡先教えて」
1「絶対に嫌です、お願いですから誰にも連絡しないで下さい」
もうここで完全に意識は途切れた。
時刻は深夜2時くらいだったと思う。
白い天井、頭はまだボーッとしてた。
視界を少しずらした。
横にマキコさんが居た。
マキコさんは泣いていた。
「あんた、本当に、何があったの?どうしちゃったの?何も言ってくれないからマキコ何も分からないんだよ」
マキコさんが泣いている、マキコさんの泣いた顔を見るのは初めてだった。
そう思ったら私も自分が不甲斐なくて苦しくてしんどくて、泣けてきた。
子供みたいにわんわん声上げて泣いた。
心の中でマキコさんごめんなさいとずっと言っていた。
こんなんでごめんなさい、と。
マキコさんはいつも本音で接してくれるのに、腹から話してくれるのに
自分は意気地なしで、突き放されるのが怖くて
はぐらかしてばっかで、でもそれがマキコさんを心配させてごめんなさい
本当にごめんなさいと泣き喚きながら思った。
結局、看護師さんが、私の携帯の一番始めにあった履歴の人に連絡を取って、それがマキコさんで、マキコさんは病院に掛けつけてくれたようだった
深夜3時、マキコさんは一人で病院に来てくれたのだった。
その日、私は泣き疲れてそのまま眠った。
次に起きたのは7時、この時結構回復していた私は、あと1時間で仕事に行かなければいけない、と焦り、病院からそのまま昨日と同じ格好で仕事に行った。
しかし、不思議と私は冷静だった。
あんな事があって、マキコさんも絶対に私に引いたはずだ。
もう仕方ない、と。
もし私がマキコさんの立場だったら、私みたいなキチ/ガイともう関わりたくないと思うし、仕方ないと
私は完全に諦めていた。
その一ヶ月は一切酒を飲まず、手の甲にマジックで「絶対禁酒!」と書いて真面目に仕事だけやっていた。(マジで毎日マジックで書いてましたよww)
しかし、マキコさんという人は、私のチンケな予想なんて軽々超える人だった。
事件から一月たった11月頃、マキコさんからの着信が鳴った
「久しぶり!飲み行くよ!」
全くいつもと変わらないマキコさんの声だった。
しかし待ち合わせ場所に着けばマキコさんはいつも通りだった。
あの日の事には特に触れず、初めいつも通り馬廘話をしていたんだけど、ふいにマキコさんがこう訪ねてきた。
「1さあ、本当は絵をやりたいんじゃないの?」
マキコさんの突然の問に私は?!となっていた
そんな私にマキコさんはこう続けた。
「1さ、学校辞めたのずっと気にしてたじゃん、だからマキコ思ってたのよ、本当は絵を続けたいんじゃないのかなーてそれで悩んでんじゃないのかなーて」
「もしね、修三と、マキコが店を出すとじゃん。そうなったらね、その店に1の絵を好きなだけ飾っていいよ。好きなだけ、かいていいんだからね」
私はここで、初めて分かった。
この一月、マキコさんは考えていてくれたのだ。
何も言わない私が、何を悩んでいるか。
何も言わない、何も教えない、何でもはぐらかす面倒くさい私が何を悩んでいるか、マキコさんは考えてくれていた。
普通、人の悩みなんて好き好んで聞く人なんていない。
ましてや、自分からは何も言わない私の話なんて
それが普通だ。
しかし、マキコさんは普通ではなかった。
何も言わない私が、何を考えているか、真剣に考えてくれて。
何も言わない私を許したまま、自分の意見を伝えてくれて、救いを差しのべてくれて
私はマキコさんに泣きながら
「ありがとうございます、ごめんなさい本当にありがとうございます」
を繰り返した。
そんな私に、マキコさんも「泣くな馬廘が!!」と怒りながらちょっと泣いていた
雑貨屋の一番忙しい時期がまた今年もやってきた。
私の中で、「このまま来年もここに残り仕事を続けるか」「地元に帰るか」はこの時はまだ保留になっていた。
マンションの契約は2月まで
今はとにかく忙しいし、それまでに考えよう、と。
でも私の中で、「マキコさんと疎遠になってしまう」という不安は無くなっていた。
どっちに転んでも、マキコさんとはきっと大丈夫だ、根拠は無いが、何故か絶対的な自信があった。
あとは自分自身がどうしたいかだ、と思っていた。
その年は成人式の前撮りもあったので
クリスマス明けに二日だけ休みを貰い地元に帰省する事を前々から店長に伝えていた。
「そのかわりそれまで、一日も休みいりませんwww」
と土下座して(本当はしてないけど)頼んだら鬼店長も承諾してくれた
ただ、本当にそれまでは一日も休みが貰えなかったwww
体力的にはヘロヘロだったが、地元の友達と久々に会える事を楽しみに頑張れたので精神的には毎日元気だった。
12月26日
この日付はしっかりと覚えている。多分一生忘れない。
私は明後日の、28日、29日と休みを貰って帰省する予定だった。
あと一日行けば久々に休める!!そんな気持ちでいっぱいだったこの日
深夜に携帯が鳴り響く。
寝ぼけていた私は一回目の着信を無視した。
しかしまた鳴る、眠い目を擦りながら電話に出た
お姉ちゃんだった。
お姉ちゃんは電話越しに錯乱した様子だった
「お父さんが倒れた!今病院、脳内出血だって、どうしよう意識が戻らない」
うわー…なんかもう三年くらい前の事なのに
すげえ、やっぱ今お姉ちゃんの台詞書いたら泣けてきた本当この瞬間が人生で一番辛かったわ今の所wwww
もう頭真っ白ですよ
本当にもうド後悔
やっぱり夏のあの時帰ってれば!って
本当自分カスゴミ死ねて!親不孝のクズて
泣きながら雑貨屋の店長に電話を掛けた
多分支離滅裂で5分くらい何も言葉にならず泣きっぱなしだったが
店長は何も言わずに待ってくれていた。
そして何とか、明日朝1で病院に行きたいから、明日だけどうしても休みを下さいと伝えた。
店長は落ち着くまでいくらでもそっちに居ていい、落ち着いたら連絡をくれればいい
仕事の事は気にしなくていいから
と言ってくれた
店長との電話を切った後、朝まで眠れなかった。
まだ薄暗いうちに家を出て、始発で地元に帰った。
しかしこれからしばらく入院。後遺症がどれだけ残るかは、まだ分からないとの事だった。
私はお母さんとお姉ちゃんと一旦病院から帰り、途中ファミレスでご飯を食べた。
明るい所で見たお母さんは、凄く痩せてて、夏に会った時より小さくなってた。
うちの会社もこの時期稼ぎ時、しかもそのは例の事件があった為、お母さんも休み無く働いていたようだ。
朝早く仕事に行き夜遅く仕事を終え、一切寝ないまま今までずっと病院に付いていた。
私は帰ってくる新幹線の中で
「なんで自分ばっかりこんな目に合うんだろう」
と一瞬思ったが、決してそんな事無かった。
自分以上に辛い人が目の前に居ると、遅過ぎながら、ようやく分かった。
そこで見つけたのは地元のタウンワーク。
1月オープンする大型雑貨店のオープニングスタッフが募集されてた。
実家から近い。田舎にしてはそこそこ時給もいい。
この時、私の心は決まった。
電話したら直ぐに面接してもらえ、翌日採用の電話が掛かってきた。
採用の電話を貰った後、店長に電話を掛けた
「本当、本当に急で迷惑を掛けますが、1月から戻ろうと思ってます忙しい時期なのに本当にすみません」
店長は勝手な私の事後報告一切責めず、是非そうしてあげて、と快諾してくれた。
1月七日付けで、雑貨屋の退職が決まった
そして30日、私は最後の仕事を片づける為に自分の町に戻った
無理しなくていいのはお母さんだよ…、と思った私は
「もう新しい職場も決まった!帰ると言ったら帰る!絶対帰る!」
とちょっとキレ目に怒鳴ったww
そんな私にお母さんは
「じゃああんたの部屋掃除しなきゃ、だって今干し柿干す部屋になってるもんwww」
と久しぶりに笑った。
そしてありがとうと言ってくれた。
それから年末は福袋の準備、正月は福袋を売りさばくのに慌ただしく過ごしていた
新しい職場も四日から研修が始まっていたので、その数日は地元とその町を新幹線通勤で行ったりきたり
新幹線代で金が吹っ飛んだのが悲しかったww
ともあれ、すぐに七日になり有り難くも、雑貨屋も円満に退職した
鬼店長から
「最後は完全に1さんの事頼りにしてた、地元に戻ってる時正直忙し過ぎて涙目になったもんwww」
とお褒めの言葉を頂けたのが一番嬉しかった。
そして更に有り難くも、送別会まで開いてくれて全員と握手をして別れた。
最初は辞めたい、としか思ってなかった職場なのにいつの間にか大好きな職場になっていた。
今でも機会があったらまたこの店で働いてみたいと思う
その期間にマキコさんに会った。
マキコさんには電話でお父さんの事や地元に帰る事は伝えてあった。
1月の夜の寒い中、居酒屋の自転車置場で星を見ながら数日の事をマキコさんに話した。
マキコさんは
「寂しくなるなー」
と上を向いたまま言った
私も
「私もです」
と同じように上を向いたまま言った
「でも、1頑張れ!頑張れよ」
マキコさんがこっちを向いて笑った
「はい、頑張ります!」
私もマキコさんを向いて笑った
とりあえず私は必要最低限の物をバックに詰めて、地元に戻って暮らし始めた。
1月いっぱいはオープン準備やら研修やらで忙しかった
マンションの部屋はもう2月分まで家賃を払っていたので、1月は戻らず、2月に数日休みを貰ってその時に引っ越そうと私は思った。
その事をマキコさんに電話で話したら
「じゃあ、引っ越しが全部終わって鍵を返した後、最後に飲みに行こうか」
と言われたのでマキコさんと最後の飲み会をする事になった。
午前中に業者さんと一緒に荷物をトラックに詰め込み、軽く部屋の掃除をした後、不動産屋に鍵を返した
閉まった自宅のドアの前に立って、「もうここは私の家じゃないのか」と、思ったら少し切なくなった。
荷物は業者さんが実家まで運んでくれ、私は一人だけ新幹線で帰る予定だったので、マキコさんと待ち合わせるまで久々の一人で過ごす自由時間が出来た。
最後と、いう事でこの土地での思い出の場所を巡って過ごした。
家の近所でしょっちゅう行ってたラーメン屋さん
よくハトにエサをあげてた公園。
ガスが止まって毎日通ってた銭湯(入浴はしなかったがw)
クリスマスツリーを買った輸入雑貨屋にも行った
以外と思い出の場所が多くて待ち合わせまで5時間くらいあったが、全然暇しなかった
そして、改めて、この場所で辛い事もキツイ事もいっぱいあったけど
本当に本当に、楽しい二年間だったなあ