中2男
ひたすらバスケに打ち込んるフツメンスポーツ少年
成績はまあまあ
暇な時間に書き溜めてたのでちょいちょい修正しつつ投下していく
病気の話&一緒に入院してた女の子の話がメインな感じ
冗長な文章だが暇つぶし程度に読んでくれると嬉しい
一応時系列にはなってる
質問も出来る範囲で答えるよ
最初は部活の負担や成長痛なのかと思ってたんだが、ある日肘がちゃんと曲がらなくなってることに気づいたんだ
さすがにこれはおかしいと思い親に相談して一緒に近くの総合病院に行った
ありがとう、書いていく
うちの病院でははっきりしたことが言えない、隣県の大学病院を紹介するからそこで診察を受けて欲しいと言われた。
その時点で、きっとよくないものが右肘にあるんだろうなって感じてた
いくら田舎の病院とはいえ、CTまで撮ってたし、俺より先に診察室に入った親が深刻な顔をしてたから
レントゲンとCTとMRIを撮ってから診察室に入って言われた言葉は、
「すぐに入院してもらいます。明後日に空くベッドが一つあるので、入院の準備をしてきてください」
悪性腫瘍の疑いが濃い
正確なところは生検(病変部の組織を採取して検査)して見ないと分からないが、8割方間違いないとの事だった
ちなみに、タイトルにはガンと書いたが医学的には悪性腫瘍とガン(がん?)は少し違うらしい
ただ、放っておくと拡大・転移してタヒに至る点では同じだそうだ
入院科は整形外科
ほとんど風邪もひかなかった俺としては入院は初めての経験だった
入院した4日後に即生検して、主治医から正式に告知を受けた
右肘関節骨肉腫のステージⅢ
ここから俺の闘病生活が始まる
俺みたいなガキに対してもどんな病気なのか、なぜ抗がん剤治療が必要か、この病気になった人間の5年生存率の話
手術は避けられないこと、手術後の生活で出来ること、出来ないことなどを夜中まで何時間もかけて、俺が納得するまで説明してくれた
不安だったけど、この先生なら信頼できると思った
この人に出会えたのは人生最大級の幸運だと今でも思ってる
入院までの経緯で覚悟が出来てたのが大きいと思う
けど、俺はもうバスケ出来ないんだなって事だけは1週間くらい頭の中をめぐってた
そして2週間ほど色々な検査をした後、抗がん剤治療が始まった
告知された時俺もそう思ったよ
1週間くらい継続して点滴を続けるので、点滴の針も普通のものとは違う
直径1ミリ以上あるようなプラスチック製の中空針で、刺す時には中空部に金属の細いクギみたいなのが入ってる
それを手の甲とか、腕とかの太い血管に刺してから金属部を抜き取ることでプラスチック部だけが血管の中に残るって仕組み
プラスチック針は大きなテープで固定する
よく頑張ったな
吐き気も凄かっただろうに
お前さんは強いな 偉いよ
入院中は抗がん剤治療の次にこの刺し直しが怖かった
腕の血管がぼろぼろになって足の甲とかの血管に刺したこともある
ありがとう
けどタヒにたくなかったから仕方なく我慢してただけなんだ
偉くなんかないよ
クスリの名前はよく覚えていない
今の知識で考えるとおそらくこれだったんだろうな、ってのはあるけどまあさして重要でもないし
・黄色いの
リポD飲んだ後のショ*ベンみたいな色のクスリ
丸1日投与した後、5日間くらい継続して多量の生理食塩水を投与するので1時間に1回ショ*ベンが出る
腎臓へのダメージが大きいクスリで、生理食塩水投与をしないと腎臓がダメになってえらいことになるらしい
副作用は比較的軽めで、軽い吐き気と食欲減退、全身の倦怠感、脱毛ちょっと
軽いって言っても投与開始から丸2日くらいはトイレ(大)以外ほぼ寝たきりになる
・赤っぽいのと透明の
この2つは併合投与する
生理食塩水投与は少なめ(黄の1/3)だけど体感できる副作用がハンパない
猛烈な吐き気と脱毛、血液成分(赤血球・白血球・血小板)の減少
これやった後は吐き気で1週間食事が出来なくなる、ポカリを飲むのすらつらい
治療は黄→(回復期間1週)→黄→(回復期間1週)→赤&透明→(回復期間3週)が1クールみたいな感じ
手術前にこれを(多分)3クールほどやった
ちなみに初回の赤&透明で頭髪は全部抜けた、何故かイン毛は4回目の黄まで生き残ってたが
本当は回復期間を短くしたいんだが、体力や血液成分の回復に最低1週間はかかってた
ありがとう
おかげで今でも痛みに対する耐性はハンパない
俺のじいちゃんは胃癌で一年三ヶ月持ったが亡くなった。
ばあちゃんも肺癌で同じくらい生きたが亡くなったぞ。
遠いのにあんなにしょっちゅう来るのは大変だったろうなって今にして思うし、本当に感謝してる
ただ、4歳下の妹連れてこようかって言われた時は絶対連れてくるなって言った
きっと今の俺見たら妹は泣くし、それ見たら俺も凹みそうだったから
うん、俺は運がよかったんだと思う
内臓の疾患じゃなかったのも効いてるのかもしれない
本当にいい人ばっかりで、つらかったはずの入院生活なのにこの人たちのおかげで楽しい思い出がたくさんある
入院時に同じ病気だった人は以下の3人
・浜田さん(22歳パティシエ男)
・綾ちゃん(北乃きい似17歳JK)
・みーちゃん(お前らの大好きな幼い女の子)
その他にもリュウマチの斎藤さんとか焼肉屋経営のチャキチャキ江戸っ子アラサー女のクミさんとかいた
クミさんは滅茶苦茶元気で正直なんで入院してるのか分からないレベルだった
膝が悪くなった後でも可能な行為のタイ位についての話はその後の俺の人生でなかなか役に立った
綾ちゃんは凄く可愛い子だった
抗がん剤治療を受けてるから当然髪の毛は抜けちゃってていつもニット帽をかぶってたが、それでもかなりかわいいと思ったし、元気な頃の写真はもっと可愛かった
童テイで女の子耐性がなかった俺は最初のうちは自分から話しかけることすら出来なかったけど、気さくな子だったから何度か話してるうちにすぐ仲良くなれた
書いてる内に思い出したが、綾ちゃんだけ何故か主治医が違ってた
みーちゃんはお子様なので夜話会にはこれなかったけど、俺とみーちゃん両方が体調いいときは一緒にゲームとかしてた
調子いいときに作った手作りのお菓子とかくれて、もう1人妹が出来たみたいでかわいかった
クミさんは自分の店から色んな肉(焼いてある)差し入れさせては夜話会に持ってきてくれてた
ちなみに綾ちゃん以外は今後あまり出てこない
あ、夜話会ってのは上のメンバー(体調がいい奴限定)で消灯後に談話室に集まって雑談する会
自販機コーナーでジュース買ってきて、それ飲みながら23時くらいまで喋るんだ
斎藤さんの調子がいいときは近所のセブンでおでんとかからあげ君とか買出しすることもあった
治療がつらい時でも、回復期間になったら夜話会に行くんだって思って頑張れた
ちなみに放射線治療はしなかったのかい?
そうなんだよ、本当に人とのつながりって大事だと思う
俺は放射線治療はしなかったよ
同じような病気で患部が骨じゃなくて筋肉の人のなかには放射線治療してる人もいたが
これまでは血液成分が減っても数日ですぐ回復してたんだが、白血球が増えなくなったんだ
というか、減りすぎて感染症に対する抵抗力がほぼゼロになった
俺は隔離された
ドアが2重になってて、常時換気+空気清浄機が作動してる部屋
当然窓は開かないし、ウ○コの時以外は部屋の外に出ることすら出来ないから夜話会どころじゃない
部屋の中でも俺は常時マスクをして、先生やナースも入室時には念入りな消毒をしてた
ガンには詳しい方だけど、血管ボロボロの内出血、一日三回吐くわ、髪は抜けるわ、つらいのはじいちゃんたちみてよく知ってる。
それにしても奇跡だよな。
先生とガンの場所は。
血管に隣接するようなところならあっという間に転移するし、骨芽腫は骨を切り取れば歩けなくなるけど収まるし。
たぶん先生に対しては、ストレスが溜まりにくかったんじゃないかな。
なにか骨肉腫に縁でもあるのかい?
>>38
すまない、骨肉腫なんだ
でも本当に不幸中の幸いだと思う
主治医の先生に対して不満を抱いた記憶は一切ないし
転移がなかったのも本当に幸運だったと思う