おぼろげな記憶を補ってるので、おかしなところがあったらごめんなさい
我が家は祖父母の代からちょっとゴタゴタした複雑な家庭で
母の兄姉は母とは腹違いだった為、母のことを嫌っていた
母の実母は短命だったのでどんな人か知らないが、
実父(私の祖父)は母を大切にしていたと思う
そんな祖父が亡くなる時に人悶着あり、
祖父からこっそり遺書を私が手渡されていたりと色々あって、兎に角大変だった
家庭に居場所のない、所謂放置子にも分け隔てなく接している人だった
近所に家に誰もおらず締め出されている子がいれば家に招いてたし、
勝手に庭に入って私のおもちゃなんかを持って行く子には
きちんと叱ってダメなことはダメと懇切丁寧に教えていた
我が家の数件隣には熱心な教育ママがいたんだけど
その教育ママ、二人いた姉妹のうち姉にだけ目をかけて
妹(以後Aとする)は放置してた
Aは私より数歳年上で小学校に行ってたんだけど
母親の愛情に飢えてたせいか、よく私の母に甘えに来ていた
いつも家に来るものだから、私は姉みたいに思ってたんだけど、
Aは私のことが大嫌いだったらしい
上で書いた祖父が亡くなって家が大変になったとき、
遺書を私が祖父からこっそり託されていたことで母親が物凄く追い立てられていた
幼い私にもわかるくらい痩せてやつれていってたけれど
我が家にきて私を罵倒する兄や姉からいつも私を守ってくれてた
Aは家の外から、たまたまその現場をみていたらしい
で、「あいつ(私)がいるから、ママ(私母のことをママと呼んでいた)が
苦しんでるんだ、あいつさえいなければ」という考えにたどり着いたらしい
Aは母がベランダで洗濯物を干している間に
朝起きて着替えようとしていた下着姿の私を外に連れ出し、
そのまま「かくれんぼだよ、私が隠れるから探してね」と言って
知らない場所にまで無理やり引っ張っていって放置した
私は必死でAを探すも、もちろん見つかるわけもなく、
炎天下の中脱水になって道路のど真ん中で倒れていたらしい
見知らぬおばさまが車で通りかかったところを助けてくれて、救急車で運ばれた
あと三十分発見が遅かったら死んでたらしい
アスファルトの熱と日焼けで、全身やけどまでしてたらしい
その間母は私がいなくなってすぐ警察に連絡し、血眼になって私を探してたらしい
再会した時、祖父が亡くなったお葬式の時より泣いてるのが理解できなくて
お母さん、いたいのいたいのとんでけーって朦朧とした意識の中で何度もつぶやいて、
重たい手で目一杯母の頭を撫でてたのをなんとなく覚えている
その後退院した私は、家に戻ることなく母の知り合いに預けられて、
母のもとに戻った時には全く知らない土地に住むことになってた
今でも見知らぬ土地に放置された恐怖だけが残ってて
全く知らない場所に一人で行って迷うと、すぐパニックになって泣いちゃう
お陰で就活捗らなくて今もトラウマと修羅場迎えてるorz
母に聞いてもはぐらかされましたが、
引越し先が決まるまで私を保護してくださったご夫妻からお話をして頂きました
Aは私を放置したあと、
家に私が戻ってくるかもしれないからと警察に言われ自宅待機していた母に
「私ちゃんはもう居なくなったよ!これからは私だけのママだよ」というような事を言って
ことが発覚したそうで、本当に大問題になったそうです
教育熱心なママなだけあって姉は私立の小学校に通っていたので、
その学校でも凄く問題になったとか
詳しく書くとAが特定できるくらいの騒動なのでそこは省かせてください
最終的にA家は崩壊しました
旦那は家族を見捨てて逃げ、A姉は引きこもり、
Aは親の育児放棄とママの喪失により精神的におかしくなってしまったようです
A母はよくわかりませんが、もともと狂ってるような人だったから、とだけ聞きました
ただ、Aは私と離れ数年しても
私を殺してやる、ママを奪った私だけは許さない、とずっと言っていたそうで
その関係からわかりませんが、その後二回ほど、
信頼できる方以外、誰にも行方を伝えず引っ越しています
もしかしたら母兄から金の無心があって、私にも接触があったので、
引っ越しはそっちが原因かもしれませんが・・・
そんなわけで、A家が崩壊して以降の近況は詳しくわかりません
とりあえず、Aにあった時の身を守れるようにとされた話です
おはようございます
詳しく書くとまた長くなってしまいますし横道にそれるので簡単に申しますと
一通別の遺書があった
それを誰にもバレず、確実に無効化する方法として、私に新しい遺書を託した
こんな感じです
問題の元凶も最期までトラブルのもとをガキに預けるとかないわぁ。
どんだけ利己的なんだ。
実子と同じように放置子をかまう親は、善人のようで
実子にとっては害なんだよな。
祖父は最後たくさんの機械に繋がれていてどうしようもなく、
本当に、亡くなる直前に渡された形です
幼い記憶を都合の良いように補完してるかもしれませんが
遺書を受け取った3日後に亡くなっているので
自分じゃどうにも出来ずに私に託したのだと思います
最後までずっと側にいたのは私だけだったので、私は恨んだりしていません
>>496
実子と同じよう・・・ではけしてありませんでした、あくまで他人の子は他人の子です
家庭に介入したり、ご飯を与えたり、家に泊めたりはしませんでした
私がフレンドリーな性格で放置子ともすぐ仲良くなったのですが、
そういった子を無碍にすることなく、普通のお友達と同じように扱っていたという意味で
分け隔てなく接している人と書きました
Aにも同じで、母の中で小学生の門限は6時だったので6時には必ず家に返しましたし、
ご飯を一緒した記憶もないです
おお、やっぱり。
読んでる途中からそう思った。
そういう子供を受け入れてると実子の立場を欲しがり
あいつさえいなければ、となるんだよね。
それにしても大変だったね。
迷子の不安とかは病院にかかった方がよくないかな?
就活の日用に軽めの頓服出してもらうとか
認知療法ノートで今は迷子でも大丈夫と脳に言い聞かせたり…
無理して頑張らないでね。
誰かに協力あおげるなら前もって現地まで下見に行くのもいいよ。
そういうトラウマじゃないけど道迷いでパニックになる家族と
県内なら出張や研修の前には現地まで一緒にルート確認に行ってるよ
母がよくAに「Aちゃんのお母さんが心配するからね」と言っていたのを覚えています
もしかしたらそういったセリフが逆にAを追い詰めたのでしょうか
迷子の不安に関してですが、「あれ、道わかんないかも」と少しでも思うだけで、
自分でもワケの解らないくらいパニックになってわぁわぁ泣いてしまうんです
心療内科には一度かかりましたが、
二階の診療で「就活やめたら収まる」と結論を出されたので通うのをやめました
周りはいい年して迷子で泣きわめくな!と理解してもらえず、
トラウマを人に話す勇気もないので、今はグーグルマップの現地見られるやつを駆使して
パニックにならないようにしています
古い情報だとまれに風景がかわってしまっているんですが、
都会では目印になるビルも多く残っているで、便利です
スマホのある時代で良かったです
このAがひたすらクズだったって話だ。
元凶はA母じゃね?
クズ度はAとA母A父同列。