医者に行き、レントゲンを撮ってもらったら、肺に影が写ってた。
家事と育児に追われる嫁には、余計な心配を掛けたらいけないと思い、
「大した事無いよ。暫く様子見てくださいってさ」と誤魔化した。
ある日、いつもの残業で深夜に帰宅すると、嫁が神妙な顔をしている。
「お医者さんから電話があったけど‥」と切り出した。医者は、CT検査の
事で電話をしてきたらしい。(余計な事を)と思いつつ、嫁に話をした。
「CTだったら会社の検診で希望すれば撮れるし。今年は希望するからさ」
「検診って半年以上も先じゃない。手遅れになる病気だったらどうするのよ」
「今は咳が出るだけだから。そんなに大層な病気じゃないよ」
そんな調子で、喧嘩になった。
「勝手にすればいいじゃない。万が一の事があっても、子供は私が一人で立派
に育てていくから」と嫁は捨て台詞を残して、その日から別々の部屋で寝る事
となった。
ある時、家に置いている「家庭の医学」にしおりが挟んであるページを開けたら、
そこには「肺癌」の事が詳しく書かれていた。
レントゲンの白い影、明確な自覚症状が無い‥、自分に当て嵌まる事が多かった。
それで、検査を受ける事にした。
忙しい時期ゆえ、休暇を取得するにもひと苦労した。結局、休暇が取れた
のが、検査を受けると決めてから一週間以上経った、一昨日だった。
一人でいい、って言ったのに、何故か嫁が付いてくる。病院への道中、
「子供の事は心配しないでね。実家に戻れば、あとの生活は困らないから」
「私もまだ若いから、いい再婚相手が見付かるかも知れないし」
と、憎まれ口ばかり叩いている。
このまま踵を返して、着替えて出社しようかとも考えた。
そして病院に到着。仄かに薬品の匂いがして、気持ち悪くなった。
CT室の前のソファーで、無限とも思える長い10数分間を過ごした。
検査は、あっさり終了。
嫁は、「今、検査技師の人が通ったけど、私の事を憐れむような目で
観たような気がする。やっぱり悪い結果だったのじゃないの?」などと、
相変わらず、憎まれ口を叩いている。
そして、診察室へ。
10数枚のCT画像を前に、女医がおもむろに口を開いた。
「肺腫瘍は無いですね。全く異常無しです。」
安堵した。と、次の瞬間、隣で立っている嫁が突然、号泣し始めた。
泣いて、しゃくりあげながら、「うちの主人、大丈夫なんですね?命に
関わる事は無いんですね?」と言った。
正直、あっけに取られた。声を聞きつけ、隣の処置室からも、何人か
看護婦が顔を覗かせた。
女医の話を聞くと、最初の胸の痛みは、どうやら肋間神経痛で、レント
ゲンの影は、器官が集中して2次元的に重なった箇所が、たまたまその
ように写ったのだろうとの事。
嫁は、なおも目頭を押えて泣き続けている。ふと見ると、女医も目を潤ま
せており、看護婦の中にはハンカチで目を拭いている人すら居た。
メークを落としてすっぴんの嫁を連れて病院を後にしながら、柄にも無く
「健康に気を付けて節制しよう」なんて思った。
色んなこと言うヤツいるけど、俺たちやっぱ、嫁や家族の為に
生きてるんだなぁって思ったよ。
おまえ自身もの健康もだが、嫁さん大切にな!
泣いた…
俺も健康に気を付けて家族の為に生きよう。
不覚にも昼間っから泣いてしまった。
いい嫁さん持ってるな。大事にしてあげてください。
>>655,>>657では書かなかったけど、病院に行けるまでの一週間余り、
自分でも いつ死ぬか判らないと思っていたので、出来るだけ早く帰って
きて、息子 の遊び相手をしました。
うちの息子は自閉症児なのですけど、その分、両親の雰囲気がいつもと
違う事が敏感に判るのでしょうね。精神的に不安定に、私にはベタベタ
に甘えるようになりました。
今回、異常は無かったですけど、一種の臨死体験(?)をした事で、人生観
が変わりました。
嫁が、病院からすっぴんで帰らざるを得なかったのは、その日に限って、
化粧用品を全部忘れて出掛けたんですね。よっぽど動揺してたのかな。
嫁は、あまり小言を言わなくなりました。いつまで続くかは判りませんw
こんな嫁と息子を、長い一生に亘って大事にしていける様、頑張ります。
あんたを見守る何者かがひとつの転機として与えた機会だったんだろうね。
家族って本当に良いよな。
あんたに偉そうに言える身分ではないが
”頑張れ”
嫁さんと子供の為にも。
心よエールを送る。