終わったとき無料で飲み物飲ませてもらえたしお菓子までくれたので嬉しかったです。
ロキソニンと併せて飲むことによって痛み止めの効果続くようになって苦痛が減ったことで爽快ですね!明日は何もなくて月曜は胃カメラと大腸カメラ、火曜日が婦人科の方の検診、あと残りは心電図とレントゲン!あと少し~!
>>187
今妊娠中だから排卵してないし中絶後生理戻るの待ってたら治療遅れてしまうから無理だって言われたった
しかも卵子とるの結構難しいとかなんとか
治療終わった後の自然妊娠にかけるしかない・・・!
幼少期は父と祖母に育てられたが、父は私を育児放棄して祖母に任せっきりで碌に会話をした覚えもない。祖母は私を虐待していた。毎日殴られ、蹴られた。食事は一日に一回で茶碗一杯のご飯だけの時も良くあった。掃除、洗濯等の家事をさせられていたのは良く覚えている。
6歳の時、氏んだと聞かされていた母が現れ、私を迎えにきた
祖母と母は取っ組み合いの喧嘩をしていた。父は傍観を決め込んでいた。
ビール瓶で頭を殴られ血だらけになっても祖母と言い争っていた母は印象的で良く覚えている
結局父は親権を放棄して、以降私は母の元で育てられた。
ある教官が気が弱い女.子.生.徒.をさんざんいびって入院まで追い込んだ。
彼女が入院した時も、研究室のメンバーを全員呼び集めてから、
彼女の容貌や家庭環境のことまで含めた下品な罵倒を長々としていた真っ最中。
当然教授会で問題になって査問が開かれる。
教官は涙を流して、「どんな処分を受けても構わない。謝罪の機会をもらえたらそれでいい」と訴える。
その結果、女子生徒の退院を待って、その教官と女.子.生.徒.の間に話し合いの機会が持たれることに。
兄は頭は良く一応いい大学を出た後、名のある銀行に就職したがたった三ヶ月で辞めてしまい、以来引き摺り状態だった。
しかしニート5年目になったある夜中に私の部屋をドンドン叩きまくり、ドアを開けるといきなり「(私)、今いくら金ある?頼む貸してくれ、必ず返す!あるだけ貸してくれ!」
私はアホかと思いつつ若干涙を浮かべている兄に「何に使うの?」と一応聞いた。
当時私は大学生で実家住まい、バイトもしてたので20万位の預金、財布には2万ちょっと入っていた。