数年前に汚嫁のフリンで型通りの離婚劇、子供は二人で親権は俺の元
親権を撮る為に俺家にビデオ仕掛けて汚嫁と間男の睦言に子供を〇〇スの言動を撮った
この言動が数回あって親権はぶじに俺に。
汚嫁は「そんなつもりで言ったんじゃない、間男の気持ちを繋ぐため」って
どんなつもりだろうな?まんま心も体も間男へじゃないか?
まぁ、そんなこんなで同情だけじゃなく
俺と子供が気を許せる女性を得られそうなんで、書いてみた。
汚嫁は「そんなつもりで言ったんじゃない、間男の気持ちを繋ぐため」って
どんなつもりだろうな?まんま心も体も間男へじゃないか?
まぁ、そんなこんなで同情だけじゃなく
俺と子供が気を許せる女性を得られそうなんで、書いてみた。
でもSさんは子供できてからもずーっと飲み会皆勤の人で、「今日子供の誕生日でダリーから」と用もないのに遅くまで残業したり、子供との約束をドタキャンしたのを武勇伝のように語る父親だったから、そりゃ親権とれなくて当然でしょと思っていた。
でも一部の同僚がSさんの味方をして「女親に親権がいくのは男親差別」「司法の怠慢」とギャースカ盛り上がっている。
例によってその一派が用もないのに会社に残って「差別差別」とうるさくして、多忙な班が真面目に残業しているのに迷惑になっていた。
幼少期は父と祖母に育てられたが、父は私を育児放棄して祖母に任せっきりで碌に会話をした覚えもない。祖母は私を虐待していた。毎日殴られ、蹴られた。食事は一日に一回で茶碗一杯のご飯だけの時も良くあった。掃除、洗濯等の家事をさせられていたのは良く覚えている。
6歳の時、氏んだと聞かされていた母が現れ、私を迎えにきた
祖母と母は取っ組み合いの喧嘩をしていた。父は傍観を決め込んでいた。
ビール瓶で頭を殴られ血だらけになっても祖母と言い争っていた母は印象的で良く覚えている
結局父は親権を放棄して、以降私は母の元で育てられた。
前提:オイルショック(つまりは大昔の話)で代々続いてきた会社を潰しちゃった実父。
ママン(あった事ない父方祖母)の金遣いの荒さを止めることもできず、自分の不運に酔いしれているばかりなのでキレた母により、兄と私の親権も監護権も全部奪われ(時代を考えるとスゴイと思う)離婚された。
私の結婚が決まった時に、母から「お前の本当のお父さんからの手紙。アンタにあげる」と渡された手紙の内容が、こんな感じだった↓(長いので端折ってます)