小学校2年くらいの時、従兄がストリートファイターにはまっていて、
当時髪の毛が長かったこともあり、特にあのお団子ヘアーに激しく憧れた(他は真似できそうにもないし)。
母にそのことを伝えると、デパートでお団子カバー?(ちょうど春麗がつけている様なやつ)を買ってきてくれた。
喜んで翌日はお団子頭にしてもらった。我ながらなかなか似合っていて学校でも好評だった。
お洒落好きだった母は、服装もぴったりした七分丈のズボンと東洋風な柄のシャツを着せてくれた。
『あとは父に見せるのみ!!』と思い、褒めてくれるのを期待して父の帰宅を待った。
『お帰りなさい!!』と玄関に飛び出した。
以下、ちょっと記憶があいまい…
・気が付くと宙に浮いていた
・落ちていた
・床に打ち付けられていた
床に叩きつけられると同時に父の怒声が響いた
『貴様はどこの中国人だあ!!』
床で伸びているともの凄い力でお団子を掴み取られた。
悲鳴を上げながら母が駆け寄ると父は
『俺の娘にこんな中国人みたいな滑降させるなんてっ!馬鹿野郎!!お前は最低だ!母親失格だ!!』
母は『そんなに怒ることじゃないでしょ!!可愛いんだからいいじゃない!!馬鹿はあんたでしょ!!』
初めて両親が激しく罵り合うのを見た。私はもう泣いた。そりゃ泣いたよ。
成長するとともに知ったけど、父は激しい右翼だった。で、中国と朝鮮が大っ嫌い。
書斎は『太平洋戦争の真実』とか『昭和天皇』…みたいな本で埋め尽くされていて。
子供のころから父が皇族の方々が大好きというのは知っていた。
私が『天皇って何しているの?』と聞くと
父『私子、天皇じゃないだろう。天皇陛下と言いなおしなさい!』みたいな。
でも小2だった当時は…天皇陛下大好き≒中国、韓国嫌いってのは分からなかったんだ。
確かに、インスタントカメラの事は『バカチョンカメラ』って呼んでたけどね。
父と母のケンカは終わりそうになかったので、その日はひっそり泣きながら一人で寝た。
翌朝には父も母も笑顔で昨日のことは夢?と思ったが。こっそりゴミ箱を漁るとそのシニヨンカバーが奥の方に捨てられていた…
この件以外に父から手を上げられたことはないのでこれが幼少期の修羅場。
父は残念ながら故人だが、父の残した書籍のおかげで私もしっかりそちらの思想に染まっている。
…でもいくらなんでもお団子頭で背負い投げは酷いよ…。娘が出来て望んだらお団子くらいはやってあげるつもり。
今でも春麗やお団子頭をみると、あの瞬間を思い出すよ…。
では消えます。
センター分けで、髪飾り付けたりするのは、
どちらかというと、満州人の文化じゃね?
チャイナドレスも纏足も、満州人が中国を征服した時に持ってきた文化だし。
お団子というか、髪を二つに分けて丸める髪型は
唐の時代の陶器の像にもあるから、満州族だけのものではないよ。
基本的に、主に子供とか侍女とかの髪型なんだよ。
鉄拳もバーチャも格闘ゲーはみんな中国拳法使い出てくるから出来ないね
日本人使って拳法使いを倒す分には良いのか?