すると言うとお金を出してくれるわけでもないのに
お金がかかる親不孝だ〜とうだうだ言ってきた。
母から今日と明日は学校お休みにして一緒におうちよ!って訳も聞かされず
学校休まされた日の事。
朝からケーキの配達がきたり、母が張り切って凄い豪華なおひるごはん
作ったりとにかくバタバタしてて、だれか来るのかな・・・?と思ってたら
昼前に父と叔父が帰宅。(叔父は父と仕事をしていた)
何のお祝いなんだろう・・・?って疑問に思いながらもご馳走!ケーキ!って
喜んでいた所で正午になり、家族(父母私叔父)でリビングに集まりごはんだー!って
なった時にうちにかかってきた一本の電話。
電話に出る父。
そして父の
「いいともー!」
の一連の流れや、言葉は今思い出しても衝撃的すぎて忘れられません。
そして次の日、テレビに出るうちの父、という世にもシュールな物を
見た体験も衝撃的すぎました。
もう3年ぐらい前になるけど、愛犬が白内障の手術をした。
犬の白内障の手術なんてって思う人もいるだろうが、私たち家族にとっては我が子同然、家族同然で、それでも高額な手術だけに迷ったのは事実だけどペット保険にも入ってたから払えない額でもないし、何よりもこの子の目が以前のように見えるようになって壁や柱にぶつかることがなくなるならって家族全員の気持ちが一致した。
母が30歳で癌で亡くなり、父は阪神大震災で亡くなった
四歳になったばかりの私だけは、その時一時的に母の腹違いの兄(伯父)に預けられていたので、助かった
伯母は「預からなければ一緒に厄介払できたのに」と私が意味を理解できないものと思って私に向かって言ってたけど、子供の感覚って敏感なもので、「氏ねばいいのに」と言われていることは良くわかった
私は世に言うコトメ。
たぶん兄嫁さんからは、例え実家を出てる存在だとしても十分邪魔な存在だろうと思って、一定の距離を保っていた。
兄の子が生まれたときも抱っこもしてみたかったし、早く会ってみたかったけれど、所詮は旦那側の肉親だと割り切って兄経由で出産祝いと手編みの顔を引っかかない用のミトンを渡したくらい。
月に一回実家に帰ったときに、遠目で眺めて微笑んでいるくらいにしていた。
まあ世のお嫁さんからしたら、これでも十分ウザい存在だったんだろうけれど。
24時間上下ダルダルスウェットだったのが、GUとはいえ無地のネイビーのTシャツとチノパン(ちゃんとジャストサイズ)になり、伸ばしっぱなしで後ろで結んでた髪が切られ、話すことといえば会ったこともないインスタ女子()の悪ロか、荒唐無稽な陰謀論だったのに、一方的にまくしたてるんじゃなく相手の話を聞いて相槌がうてるようになっていた
まだニートだから完全に真人間じゃないかもしれないが、だいぶまともになったのは確か。
私と兄と姉は幼い頃、父から虐待を受けてた
殴られるなんてあたりまえ、姉はストーブの上に乗せられたり私は熱湯をかけられたり、兄は鼻が折れるほど殴られたりしてた。
母親はかばってくれた。母の体も痣だらけだった。
父親が働かないので母が夜のお仕事をして私たち兄弟を支えてくれた。
当時給料は日払いか手渡しの時代だったので、お金が入ると母親から無理やりとり、ギ.ャ.ン.ブ.ルをしてすべて使ってしまうので母親は家のいろんなところに隠してた
お金の場所がわからないと父はイラつき私たちにあたり散らし、ありかを知らされていた兄にお金の隠し場所はどこだといって殴りまくってた。
兄は絶対にロを割らなかった。
母親は離婚を考えていたが、兄や姉が苗字が変わってしまい、転校するのはツライと母親に伝えていたので母はためらっていた。
ある日、兄の担任の先生がきて兄の様子がおかしいと言われて、母は家での事情をすべて話した
子供の環境を考えると離婚を視野に入れたほうがいいのではと話され、転校するなら転校先の学校に根回してツライ思いをさせないようにするからと担任に説得されたそうだ
それからしばらくして父親が闇金にお金を借りて払えないので母と私たちを置いて逃げた
当時、弁護士とかそういうのは当たり前じゃなかったので、払う義務がないはずなのに母が払うことになった。