夕飯準備が出来ると、家外に自分で建てた小屋へ私達子供が呼びに行っていた。
その時に酒量確認とヨパライ度確認…ヤバそうなら母と祖母に目で合図。
酒量が多い日は必ず祖母に絡み、暴れて止められず近所で働く父を当時小学高学年の私が泣きながら呼びに行く日々。
ある日のじぃちゃん、家へ来るなりナタを振り回し襖や壁を私達の目の前で破壊。
止められずまた父を呼ぶ。制止時にもみ合い父とじぃちゃん流血…
またある日、日本刀を持って来て祖母の顔に突き付け「お前は俺様をバカにしとる!」と…
夕飯準備が出来ると、家外に自分で建てた小屋へ私達子供が呼びに行っていた。
その時に酒量確認とヨパライ度確認…ヤバそうなら母と祖母に目で合図。
酒量が多い日は必ず祖母に絡み、暴れて止められず近所で働く父を当時小学高学年の私が泣きながら呼びに行く日々。
ある日のじぃちゃん、家へ来るなりナタを振り回し襖や壁を私達の目の前で破壊。
止められずまた父を呼ぶ。制止時にもみ合い父とじぃちゃん流血…
またある日、日本刀を持って来て祖母の顔に突き付け「お前は俺様をバカにしとる!」と…
俺もおっちゃんには悪いけど、やはり妄想乙だと思っていた。
しかし、なんと証拠写真がなぜか 「我家」 のアルバムに入っていた。
「岡山赤十字病院を見舞う高松宮妃」との説明書きと共に。(軍服・帯刀姿の人も一緒に映っていたので戦後の写真ではないと思われ。)
写真を偽造までする動機はないし、技術はもっとないから、その写真は本物なのだろう。
おじちゃんの話が本当であった事と、その写真がなぜか我家に保管されていた事。この2点に何気に衝撃を受けた。
まだ30代で亡くなったので事故か?と思ったら病気で癌とかじゃない、風邪が原因だっていう
なんでも風邪を引いて会社を休んで、熱も下がったし明日は出勤するわ〜と言って寝たその夜に急変
救急車で運ばれるも手遅れで亡くなったと聞いた
ウイルスが心臓に入ってしまい、夜中だったので発見が遅れたのも悪かったらしい。
その従兄ってのは幼少期からスポーツが得意で大学ではラグビーやるほどの立派な体躯で丈夫な人だったと記憶している。
良い会社に入って奥さん子どもがいてすごく順風満帆な人生送ってたのに、たかが風邪で亡くなるって…
しばらくというか今もだけれど風邪を引くのが怖い。
兄は頭は良く一応いい大学を出た後、名のある銀行に就職したがたった三ヶ月で辞めてしまい、以来引き摺り状態だった。
しかしニート5年目になったある夜中に私の部屋をドンドン叩きまくり、ドアを開けるといきなり「(私)、今いくら金ある?頼む貸してくれ、必ず返す!あるだけ貸してくれ!」
私はアホかと思いつつ若干涙を浮かべている兄に「何に使うの?」と一応聞いた。
当時私は大学生で実家住まい、バイトもしてたので20万位の預金、財布には2万ちょっと入っていた。