

























風呂に入ってる時なんか髪の毛と顔の洗い方が変。
髪の毛は顔に水がかからないように上を向いて洗うし、顔は半分ずつ洗う。
やけに視界が塞がることを嫌がってるみたいで、どうしたの?と聞いてみると「○○(私の名前)が溺れないように!」とのこと。
それを聞いて、子どもの頃から母がそうやってずっと見ててくれたことに気がついた。
母は長いこと病気してたし、亡くなることに対する覚悟は出来ていたのに、今になってすごく辛い。
ものすごく大切に育ててくれたのに、まともな親孝行もできないままだ。
小学生の頃、道徳の授業で街のお年寄りに手紙を書いた。
返事はワードで縦書きに書かれた手紙だった。
他の子たちはその一回のやりとりで終わったみたいだったんだけど、私は続けて手紙を出した。
なぜと訊かれても分からないんだけど、なんとなくそうしたかったから。
お爺さんも律儀に返事をくれて、たまにエクセルで書いたドット絵とかを入れてくれてて、すごいなって思ってた。
母が祖父の入った棺に巾着袋を入れていた
何が入っているのかと母に聞いたら、祖父が生前棺に入れて欲しいと言われたものなのだと言う
ただ、絶対中は見ないでくれと言われたらしい
すごく気になった
だから叔父を巻き込み、金属が入っていたら焼けないからとか何とか言いくるめて中をあらためた
封筒と手拭いが二枚と風車や手裏剣の形に折られた折り紙がいくつか、四つ折りのメモが一枚
封筒には10年前に亡くなった祖母が祖父に宛てて書いた手紙が入っていた
平凡な人生をありがとう、あなたと一緒になれて幸せでした
そう書かれていた
私の小学校は学級崩壊レベルで荒れており、児童に暴行されて負傷、入院した副担任の代わりにやって来た30代後半くらいの女の先生がいた。
クソみたいな事なかれ主義の担任、いじめをもみ消そうとする学校側と違い、よく集団で殴られていた私は面倒を見てもらったしお世話になった。
しかし、小学校5年の春、先生は自律神経失調症でやめてしまった。
私は私立の中・高一貫校へ進学し、リンチ氏の危機から逃れることが出来てたため高校に備え、体を鍛えた。
何事もなくミリオタの友人に影響されつつも高校を卒業し、一般曹候補生として自衛隊に入隊。
住み慣れた町を離れ、四国の駐屯地へと行き、前期教育を受けた。