披露宴は、何事もなく終了したのだけど、式が終わってお見送りのとき
叔父(母の弟)が、引出物の袋がなにやらガチャガチャ音がすると言い出し、その場で引出物を開封したところ、中身が割れていた。
実姉が出産したんで母親と一緒に産院に行ったんだけど
自分は売店に寄ってから部屋に行くって言って別行動。
その後のんびり病室に向かってたら奥の通路からパジャマ姿の女が走ってきて、女の後ろから「待ってー!!!誰か捕まえて!!!!」って叫んでるから、何事かと思いつつ両手を広げて通せんぼ。
その女、赤子抱えてたから手荒に出来なくて赤子もろとも抱きかかえるようにして捕獲した。
泥したのは抱いてた他人の赤子。
ハーフで可愛かったから自分の子と取り替えたかったらしいよ。
幼稚園の頃の自分は、早生まれで同学年の子に比べてできないこと+発達特性でできないことのダブルコンボでとにかく酷かったらしい。
一番まずかったのはトイレトレーニングができてなかったこと。
私と兄と姉は幼い頃、父から虐待を受けてた
殴られるなんてあたりまえ、姉はストーブの上に乗せられたり私は熱湯をかけられたり、兄は鼻が折れるほど殴られたりしてた。
母親はかばってくれた。母の体も痣だらけだった。
父親が働かないので母が夜のお仕事をして私たち兄弟を支えてくれた。
当時給料は日払いか手渡しの時代だったので、お金が入ると母親から無理やりとり、ギ.ャ.ン.ブ.ルをしてすべて使ってしまうので母親は家のいろんなところに隠してた
お金の場所がわからないと父はイラつき私たちにあたり散らし、ありかを知らされていた兄にお金の隠し場所はどこだといって殴りまくってた。
兄は絶対にロを割らなかった。
母親は離婚を考えていたが、兄や姉が苗字が変わってしまい、転校するのはツライと母親に伝えていたので母はためらっていた。
ある日、兄の担任の先生がきて兄の様子がおかしいと言われて、母は家での事情をすべて話した
子供の環境を考えると離婚を視野に入れたほうがいいのではと話され、転校するなら転校先の学校に根回してツライ思いをさせないようにするからと担任に説得されたそうだ
それからしばらくして父親が闇金にお金を借りて払えないので母と私たちを置いて逃げた
当時、弁護士とかそういうのは当たり前じゃなかったので、払う義務がないはずなのに母が払うことになった。
その頃の記憶はあまりないが、母の実家で母と二人きりだったのは覚えている。
母の地元の小学校に入学する際に、運良く事務員さんが母の幼馴染で、毎休み時間に母に電話連絡する・放課後は母が迎えに来るまで事務室で預かると申し出てくれて、母も学校に通わさない訳にはいかないと考え送り出してくれた。
担任の先生が毎日毎日細かく私の学校での過ごし方を手紙で報告してくれていたらしい。
「世を恨んで自殺する探すな」って内容の遺書あるわスマホ置いてってるから連絡繋がらず。(そう言えば、思い返せば数日前からそわそわしてたし、寝れないのか寝不足でクマ出来てたな)
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実際は出かけるのが楽しみでそわそわ、家族にバレないように夜遅く旅行用の荷物用意して遺書書いてるから寝不足でクマ。