本当に「限界になるまで我慢」をして、
関係者大多数と共に割と悲惨な末路を遂げましたは……
本当に「限界になるまで我慢」をして、
関係者大多数と共に割と悲惨な末路を遂げましたは……
我ながらあんまり頭が良くない子供で
「下校の時後をつけていって、二人っきりになった時トラックが通りかかったら
クソ男をトラックに突きとばす」
という、今思い返すと目眩がするくらいガバガバな計画を立てた
(・・・トラックの運転手が目撃者になることは考えつかんかったらしい・・・)
小中の頃の私は無駄に真面目な委員長タイプの子供だった
一人遊びが好きな人は別として、
引っ込み思案だとか支援学級だとかの皆と遊びたいけど遊べない子とよく遊んだり
いじめの間に割って入ったりする「いい子ぶりっ子きめー」と言われるような子供
それでAといじめっ子の間にも何度か割って入ったことがある
小中学生の頃、俺は縦横小さかった上に
父親譲りの曲がった事が大っ嫌いで古風な性格と母親譲りの虚弱体質だった。
母は小さい頃から未だに入退院を繰り返していた。
俺も小学生の頃は良く入退院繰り返したり、運動会や体育の授業は休みがちだった。
幸いにも母の実家は源氏の流れを汲んでるらしく、
しかも江戸時代から形は変えながらも代々商人をしている為に
金に困った事は無かったらしい。(詳しくは知らん)
その為にオレや母の入院費は母方の実家が出してくれた。
今も昔もイジメは無くならない。子供だけではなく大人の社会でも。
イジメの形は時代と共にかわり、わかりやすい被害
(無視や陰ロ、器物破損/暴力)にSNSでの誹謗中傷/晒し)も加わった。
その中で事あるごとに思い出し身を正す出来事を書く。
中学校の同級生にT君という同級生がいた。
T君とは小学校が同じだったが、第二次ベビーブーム世代でマンモス中学、
一学年(一クラス35〜40人)が9クラスあったため、他クラスだった。
中学に入って体が小さく人付き合いの苦手な私は直ぐにイジメの対象になった。
家族(私)からの強い訴えもないので、大事にはならず、
結局、施設からは母の妄想であるとされた。母は悔しがっていた。
母は「年齢の割にはしっかりしていると思われている」事が
自身のプライドの根源だったから、それを失ってから急速に老いた。