自分が、ある日会社帰りのこと。
ちょこっとコンビニによったら、昔自分を虐めてたAに出会った。
俺は気づいてたんだけど、Aと一緒に居た彼女っぽい人が気づいてちらちらと俺を見てる。
もしかしたら、彼女に俺のことを話してて彼女もDQNなのかも、と思い逃亡を図る。
自分が、ある日会社帰りのこと。
ちょこっとコンビニによったら、昔自分を虐めてたAに出会った。
俺は気づいてたんだけど、Aと一緒に居た彼女っぽい人が気づいてちらちらと俺を見てる。
もしかしたら、彼女に俺のことを話してて彼女もDQNなのかも、と思い逃亡を図る。
高校では、Aを見返そうと思って勉強に打ち込んでそれなりに頭のいい国立に進学した。
その後、教育実習のため再び中学に行ったらAがいやがった。
後ろでこっそり他の奴と話しているのを聞いていたら、どうやら採用試験にパスしたらしく、 来年からの配属の話で盛り上がっていた。
中学生の時、典型的にいじめられた。
物を隠す、影での悪ロ、悪い噂を流す、部活の練習でボールをわざとぶつけるなどやられた。
最初はバカかこいつらと無視していたが、ついに体育館に入っただけでめまいや吐き気を催すようになる。
顧問はレギュラーでなく成績のよい私が大嫌いないじめ肯定派。知っていて無視。
むしろ「お前の練習態度が問題」との謎理論かましてくれた。
両親は激怒したが、私は考えた。
顧問からつぶさなきゃダメだと。
幸いにも運動はからきしダメな私でも成績は良かった。
弁論や作文のコンクールでは結構多くの賞を取り、校長や教育長に可愛がられていたのでこれを利用した。
小坊のころね
お金ないから質素な暮らししてたんよ、当時
周りもそんな変わらんかったけど、近くに新興団地が造成されてさ
そんで新しい住人が増えた
俺と同年代の子も増えた
実は造成のときに土地(田畑)売ったからそれなりに小金持ちになったらしいけど
親はそのお金は将来の俺のためって思って貯金してて、生活水準あまり変えなかった
風呂が薪じゃなくなったくらいかなー
頭にきたので、「喪子死ね by A子」「喪子ブス by A子」とか色々書かれた教科書と、こいつが私を四つん這いにさせて背中に足乗せて、金髪でヤマンバメイクで中指立ててるポーズの写真を婚約者に渡して「ご結婚おめでとう。記念にこれ返します。改心するのは勝手だけど、許すか許さないかもこっちの自由ですから。」と何とか笑顔作って玄関のドア閉めた。
その後膝が震えだして止まらなかった。
私といじめっ子は同じ公立のやや進学高校に進学した。
この辺で関係が逆転して、「どうして頭の悪い子(いじめっ子)が勉強の出来る子(私)をいじめているのか」という噂が立ち、自然にいじめはなくなった。
元いじめっ子はある大学の指定校推薦を狙って課外活動だの内申だので氏ぬほど忙しかったようで、地元国立を希望していた私とは2年以降は同じクラスになることもなく、お互い無視しあったまま2年間を過ごす。
もちろん同窓会なんか行かない。行くわけない。
誘いは名簿通り来るオフィシャルなものだけで、そうでないのは案内も来ないけど。
憎いけどひきずるほど暇じゃなかったし、見返すほどに成功もしなかったから、昔のことは気にせずにイジメのない社会人生活を楽しんでた。
ノルマや衝突はあっても少々ブラックでも、打ち上げやったり社員旅行行ったりと、理不尽なイジメのない人生は楽しかった。
ある日、車が調子悪くてバスで通勤した。
帰りにバスから降りて歩いてると、目の前で事故が起きた。
車が自転車にぶつかったんだけど、自転車に乗っていた女の子(高校生)にケガとかはなかったみたい。
そしたら車から降りたドライバーが、二言三言声かけたと思ったら、すぐ車に乗って走り去っていった。
ドライバーは、小学校〜中学時代に6年間私をイジメぬ.い.ていた男(Aとする)だった。
いじめてた奴は女.子.だった。
そもそも俺がいじめられてるのを他の男子は分からないくらい陰湿なイジメだったことは覚えてる。
女.子.のボス的な存在のやつとその取り巻き5人くらいが俺をいじめてて、内容としては靴に画ビョウをいれるという小さな物から俺がガチで泣いたくらい陰湿なものまで色々あった。