費用は年金額でOKの所です。
旦那が私のせいにしたことは、今回は許そうと思います。
旦那の生い立ちは、ずっと聞かされていましたし
同じ家で家族として生活しながらも、別の姓で生きる孤独をかかえて
子ども時代を過ごしてきた人です。
私の実家は近くに小学校があり、実家前の道路は通学路に指定されている。
で、その小学校に通う知的障害のある男の子(A君)が放置されるようになった。
五時のチャイムが鳴ると帰るらしいが、それまでは絶対に帰らない。
A君は通学路沿いにある家に勝手にあがりこんだり、それを咎めた家人を突き飛ばす等するので
学校に連絡したが、はっきりしない対応。
どうもA母は妊娠中なので面倒がみきれないらしい。
もう遠い記憶の彼方に引っ込んだ中学時代の話。
私は軽い金属アレルギーを持っていて、塗装されていたり錆びていないピカピカした金属は平気だけど錆びた金属をさわると一発アウトでかなり広い範囲じんましんが出てた。
学校側にもその事は報告していて、金属を扱うような理科の実験は記録係担当(一応実験の度に今日のはできる、できないを先生と同じ班の人に報告して記録係にまわる、他のはちゃんとやってた)、他にも金属に触れるような場面は徹底的に避けていた。
小学校時代、同級生に精白とまではいかないけど
普通学級についてくの精一杯、動作や話し方も鈍いという子がいた(以下A)。
近所だったので、いっしょに遊んで、登下校もいっしょ。
妹は面倒見がよかったから、先生からもいっしょに組まされたりしてた。
折りしも中学校はいじめまっさかり。
A親はAがいじめられるにちがいないと心配して
うちの妹といっしょのクラスにしてくれるよ学校にねじこみ、かなった。
氏んだことを納得できず、そのあと一月くらいは母親が帰ってくるのでは?
と期待していた。
ある日、学校から帰ると普通に母親がいた。
買い物をすまして夕食の準備をしていた。
父親が帰ってきたが、母がいることに驚くようすはなかった。
子供だったので、母が帰ってきたことがうれしくて、そのまま生活した。
昨年夏頃、子供の学校で噂が広がった。
Aママが、Bスーパーで万引きして掴まり、バックヤードでしぼられていたというもの。
あまり付きあいのないAママなので
いやだなとは思っても皆がだからどうこうはしなかった。
無視はしていたけど、普通にPTAや集会にも来るんで、強心臓って言われていた。