しかも相手分からないとか言ってるし
めちゃくちゃ怒鳴ってしまって今部屋に引きこもってる
めちゃくちゃ怒鳴ってしまって今部屋に引きこもってる
大好きだった父親が、書き置きも連絡もなく突然いなくなり警察からは家出か事件かも分からないと言われ、母親も泣き暮らし
幸い父方の祖父母も私たちに申し訳ないと色々助けてくれ、母親も父親を忘れるかのようにがむしゃらに働き、兄は大学、私は短大まで出ることができた。
母や兄や祖父母の助けてもあり、私もバイトしながらお金を貯めて留学できることになった。
そんな当日の朝に父親が玄関から普通に帰って来た。
母親も兄も祖父母もパニック。
父親は、ちょっとバツが悪そうな顔しながら「お前今から旅行か?そっかそっか」と普通の会話をしてきた。
私もなぜか普通に「いや、旅行じゃなくて留学だよ…」と返事した。
父親は「そっかー!立派になったな!親は無くとも子は育つ!てな!」と笑っていた。
大好きだった父親が無事で生きてた喜びと、急に父親がいなくなった小学3年の9月のフラッシュバックと、今までみんなでしてきた苦労や、悲しみが一気に溢れて
父親に「なんでこんな日に帰って来てんだよ!!バカじゃないの!!あんたのせいで、みんなしなくていい苦労したり、頭下げたりして生きて来たんだよ!!なにヘラヘラ笑って帰って来てんだよ!」
みたいなことを、号泣しながらまくし立てて父親に「ごめんなぁ」とハグされて「時間ないから空港行く…」とそのまま家を出た。
言いたいことや聞きたいことあったけど、結局20分ぐらいしか顔を合わせてないから、あまり話せないまま出発→留学の新生活で頭の中が忙しすぎて現実かどうかも分からないまま新生活がスタートした。
ほんとに修羅場な1日だった。
父親の故郷は山の中のすごい田舎で、小学校中学年の頃まで、毎年夏休みには家族みんなで遊びに行ってた。
その後殆ど行かなくなったんだけど、高校受験を控えた中三の夏休み、一人でしばらく田舎へ行くことになった。
街や友達からの誘惑を避けて、何もなくて涼しい田舎でじっくり勉強したら?ということだったんだ。
婆ちゃんが裏の畑で作ってるスイカやマクワを好きなだけ食べながら、広くて涼しい田舎の家で、受験勉強に励んでたわけ。
しばらくしたある日の夕方、日課になった散歩に出てた。
田んぼの間の軽トラ一台が通れるような道が続き、その脇に家が点在してる。
里山や小川もあったりして、その辺の散歩は結構気分転換になった。
その日は急に空が暗くなって冷たい風が吹き、ポツポツ雨が降り始めた。
夕立だ。雷も鳴り始めてる。
まだ強く降ってくれるなよーと思いながら帰路を急いでいると、田んぼのはるか向こう側を、二人の人が前後になって歩いて来るのが見えた。
そこでなんかすごい違和感を感じたんだ。
二人の人は蓑?みたいのを着て、頭には三角の帽子を被ってる。
スゲの笠っていうのかな。で、手には背丈ほどあるような杖。
いくら田舎とはいえ、平成の世の中だよ?あんな時代劇みたいの被るか?
と思ってもう一度しっかり見てみようとしたんだけど、ちょっと距離があったのと、白く煙るほど雨が強くなってきたのではっきりとは見えなかった。
で、なんか怖くなって全速力で走って帰った。
3年も無職で実家寄生して、いい加減親父も堪忍袋の緒が切れたんだろう。
父「働かずに食う飯は美味いか?」と。
ニートの俺が反省して目が覚めるか、逆ギレして家庭内暴力が始まるか、その2択のハズだったんだが…
母「働いてなきゃ私の料理は不味いってのかゴルァァァァァ!」とオカン爆発。
オカン大暴れで親父重傷、近所の通報でやってきた警察とオレに取り押さえられて現行犯逮捕。
親父退院後に協議離婚。
親父はあの時の事は一切ロにしないので、俺も聞いてない。
今も独身だが、俺と親父の二人くらいなら生活できる程度の仕事には就いている。
休みは不定期だけど、まぁしょうがない。
親父の「俺を更生させようとする攻撃」がオカンに誤爆して家庭崩壊したのがスレタイ。
俺のせいである事は認める。 親父オカン、すまんかった。
母親が知人なので、後から電話で「あなたが注意したら?他人の前で旦那さん可哀想だったよ」と言っても、良いのよ〜家の子は素直なのw今はそんな時期なのよ〜と。
お受験して私立中に行かせて、勉強は出来るかもしれないけどあれじゃどうしようも無いわ。
ウワキしたとか、そんな事全くない旦那さんで真面目一筋に、子供の為に頑張ってるのに本当に旦那さんが気の毒。
私と兄が8歳のとき、父が突然私と兄をどこかに養子に出すと言い出した。
理由は私と兄が父に懐かないから。
育児に手を出さず、祖父母をけしかけていびりに参加してた父に懐くはずはないw
関わってこない分、叱られるとか厳しく当たられるとかなかったから、兄の方は父をなめきってたよ。