夜11時過ぎの道路沿いにうずくまっていて、轢き逃げ!?と車を止めて見に行くと、轢き逃げではなかったが虐待で家から締め出された子だったらしい。
どうしていいかわからずあてもなく歩いて、疲れてうずくまってたみたい。
夜11時過ぎの道路沿いにうずくまっていて、轢き逃げ!?と車を止めて見に行くと、轢き逃げではなかったが虐待で家から締め出された子だったらしい。
どうしていいかわからずあてもなく歩いて、疲れてうずくまってたみたい。
離婚理由は子供の名付け。
旦那は子供の性別が女だという事が嫌で仕方がなく、孕んでしまったのは仕方がない。ころすのは流石に後味悪いから「産ませてやる」
ただし名前は男名だ。大翔(ひろと)で決定な。と一方的に名前を決めました。
私、私両親、義姉は大反対。義父のみ賛成(義母は亡くなってる)。
義姉の名前は「あきら」なんですが、義父は裕介とつけたかったらしく、義母の大反対であきらに妥協したそうです。
義母はエネ状態だったらしいが、名付けのときは抵抗したらしい。
旦那は名付けに反対するなら離婚だと脅してきましたが、その時の旦那の言動から、これからも私と娘は旦那によって苦しめられると判断して離婚を承諾。
旦那はまさか承諾されるとは思わなくて抵抗しました。
だって離婚したら旦那の生活レベルは格段と下がるんだもの。
幼少期は父と祖母に育てられたが、父は私を育児放棄して祖母に任せっきりで碌に会話をした覚えもない。祖母は私を虐待していた。毎日殴られ、蹴られた。食事は一日に一回で茶碗一杯のご飯だけの時も良くあった。掃除、洗濯等の家事をさせられていたのは良く覚えている。
6歳の時、氏んだと聞かされていた母が現れ、私を迎えにきた
祖母と母は取っ組み合いの喧嘩をしていた。父は傍観を決め込んでいた。
ビール瓶で頭を殴られ血だらけになっても祖母と言い争っていた母は印象的で良く覚えている
結局父は親権を放棄して、以降私は母の元で育てられた。
で、殴り合い始めた2人を慌てて引きはがそうとしたけど、火事場のバカ力なのか何なのか分からないけど物凄い力で、4人がかりでどうにかその2人を引っぺがした。
ママ友2人は一方(バカにした方)が鼻血ダラダラ、もう一方(アレな名前呼ばわりされた方)も顔面赤と紫に晴らした状態で「地獄に落ちろ」とか「虐待して子供頃しちまえ」とか喚いててもうどうにもならんかった。
次女と三女が酷い便秘になった 。始めに次女に浣腸しようとしたら「やだ〜!やめて!!ごめんなさいママ〜!うわぁぁぁん!!」と声の限り叫ばれた…。
おばあちゃんが「そんなに騒いだら近所の人びっくりするよ?」とフォローしてくれたけど、声かき消されてました。
私は「お腹ムズムズしたらトイレ行ってね!」と言いながらそのまま三女に浣腸開始。
そこにウン悪くチャイムが…。
開けたらお巡りさん立ってました。
「ご近所の方からお電話いただいたんですが…。」と言いながら臭ってくる三女と、私が手にしてる物と、トイレから聞こえてくる悪態(ママのバカ〜!!お腹痛いじゃん!スッキリなんてウソじゃん!等)を苦笑いで受け止めるお巡りさん。テンパる私。
すぐに静かになったトイレから、さっぱりした顔の次女が出てきて、「7こ、おーっきいの出た!」って言いながら通り過ぎました。
一応、家族構成なんかは聞かれましたが。
「頑張ってくださいね!」とのお言葉いただきました。
でもうちには子供なんていない
教えてきた親戚自身も「あの人たちがこんなこと言ってたって聞いたけど、あなたたちには子供いなかったよね??」という感じで、はてなマークいっぱい浮かべて聞いてきた
成金でわがまま父方の祖父。
母は育ちが悪いだの罵声を浴びせられ時には暴力をふるわれた。
さらに幼い私に煙草の火を押し付け、 私の顔にはいまだにそのあとが残ってる。
その後私の顔の後に激怒した父母により引っ越し、以来疎遠になっていた。
幼少の頃はこのように嫌われていたが、ある時転機が訪れた。
父は次男で、その兄である長男夫婦には子供がなかなかさずからず、4、5年の不妊治療の末生まれた赤ちゃんには障害があった。
それから祖父の態度は一変。
顔のことがあってから疎遠にしていた私によくプレゼントやお金送り、ちょくちょく遊びに来ては「大きくなってからはじいちゃんのところで一緒に住もうね」 というようになった。
私は思春期を迎え、顔の跡で悩むこともあり、また母への対応が相変わらずだったため、祖父を嫌いになっていた。