私は父に褒められた記憶がほとんどない。
勉強に関して父は
「勉強しようとしなかろうと、その結果は全部
自分の身にふりかかってくることなので自己責任」
というスタンスだったので
勉強しろとか成績悪くて叱られたこともないけど
どんなにテストの点数や通知表が良くても褒められなかったし
なんなら結果を知らせなくても何も言われなかった。
私は父に褒められた記憶がほとんどない。
勉強に関して父は
「勉強しようとしなかろうと、その結果は全部
自分の身にふりかかってくることなので自己責任」
というスタンスだったので
勉強しろとか成績悪くて叱られたこともないけど
どんなにテストの点数や通知表が良くても褒められなかったし
なんなら結果を知らせなくても何も言われなかった。
テスト中はスマホ・タブレット・携帯、およびそれに類するものは
電源を落として鞄の中に片づけておくことになっているらしい
しかし、中間テストで何としても持ち込もうとした輩がいたため
テスト中にスマホ類を持っていることが確認できたら
教員から電源を落として片づけるよう警告される
警告3回でも片づけなかったらその時点で退席
テストも即0点という措置が取られることになった、らしい
私がやられた内容は、教科書を窓から投げ捨てられる、金を取られる、テストで平均点以下を取れと命令されるなど本当に酷かった。
気が弱い私は反抗することができず、ただただ苦しいのを我慢してやっとこさ中学を卒業した。
私もAも中高一貫の私立校で、中学までAの成績は普通だった。
でも高校に進学した途端Aの成績はうなぎ上りにあがっていった。
理由は、Aが英語の先生に恋をしたということ。
Aは授業のない日も質問するため必氏に英語を勉強して、テストも学年1位とか珍しくなかった。
先生も裏で「あの子はすごいんだよ」と嬉しそうに褒めていたという。
くじ運がよく、ジャンケンも強く、クラス替えでいつもいい担任に当たり、テストのヤマも百発百中とまでは言わんが八割くらい当て、ヤンキーにからまれるだのちょっとした災害だのはすべて回避し、自分でも強運の自覚があるため、態度が堂々としていて自信にあふれ、人気者だった。