拙い文章の上、少し長くなりますが、お付き合いして頂ければ幸いです。
途中、書き込み規制で更新が滞ってしまうかもしれませんが、どうかご了承ください。
拙い文章の上、少し長くなりますが、お付き合いして頂ければ幸いです。
途中、書き込み規制で更新が滞ってしまうかもしれませんが、どうかご了承ください。
母が足を悪くして介護のために仕事を辞めたのが四年前。あれこれ文句言われて怒鳴られながらも頑張った
大学生の妹も手伝ってくれたけど、怒鳴られる妹を見るのは辛かったからほとんど私がやった
昔から私と妹にばかり辛辣な母だったから怒鳴られるのには慣れていた
私と妹にばかり色んな制限を課してくる母だったから自分の惨めな境遇もどうでもよかった
というか麻痺してたんだと思う
家を捨てるまでは怒鳴られようが馬鹿にされようが何とも思わなかった
路地裏で背後から羽交い絞めにされて逃げた時も、親しくしていた友人が早世した時も、今からだと考えられないことだけど全く怖いとか悲しいと思えなかった
親に
「うちの子自立心が強くて、親に頼らないの〜迷惑かけたら叱ってやってくださいね〜。」
と言われた。
父は、私に興味がなかったのか、母にどれだけ殴られようとただひたすら無視。
父が母と離婚するまでほとんど話したことがない、いわゆるネグレクトってやつだったんだと思う。
でも母は、顔と外面だけはよかったから、誰もそんなことには気づかなかったと思う。
小学校の頃一番仲のいい友達に母のことを言ったけど私が悪いことをしたんじゃないの?と言われてからは誰にも言わなかった。
それでも父の稼ぎがよかったので、私は大学まで出してもらった。
大学の時に同じ部に入ってる人と付き合い始めて、25歳の時に結婚した。
結婚する前にうちの両親とはつき合いたくない理由を話し、疎遠にしてもらうことで納得してもらっていた。
結婚後は彼の両親とも同居することなく、程よい距離を保ちながらのお付き合いをさせていただき幸せだった。
私が他の女の子と比べて幸運だったのは、県外で暮らす母方の祖父母が相談相手になってくれたこと
何より学費と仕送りを援助してくれたこと
なんでこの人たちからあの母親が…と幼心に疑問に感じるぐらい優しい人たちだった
母は二人のこと疎ましがっている様子だったけど、今の私がいるのはあの二人のおかげ。だから恩返ししたくて勉強も就活も頑張ったんだけどね
恩返しする前に亡くなってしまった
私の元婚約者が毒兄だった。
結婚の挨拶と元婚約者の帰省もかねて、数日あっちの実家に行ったら、コトメ予定だった人に思い切り睨まれて感じ悪いなって思ってた。
家に二人きりのときに、「命が惜しければ結婚するな」ってきょどりながら言われて
は!?なにそのドラマみたいな脅迫!?って思ったら笑っちゃって
何笑ってるの?!あんたの命にかかわることなんだよ!?殺されるよ!?って叫ばれて
ちょwそんな細い腕で何ができるのwって思ったらまた笑ってしまった。
コトメ、びっくりするくらい華奢で、人に危害加えられるようには見えなかったんだ。