夜11時過ぎの道路沿いにうずくまっていて、轢き逃げ!?と車を止めて見に行くと、轢き逃げではなかったが虐待で家から締め出された子だったらしい。
どうしていいかわからずあてもなく歩いて、疲れてうずくまってたみたい。
夜11時過ぎの道路沿いにうずくまっていて、轢き逃げ!?と車を止めて見に行くと、轢き逃げではなかったが虐待で家から締め出された子だったらしい。
どうしていいかわからずあてもなく歩いて、疲れてうずくまってたみたい。
父方祖母が私を不憫に思っていたらしく、遺言状に私宛の相続を記してくれた。
祖母が亡くなってから銀行の貸金庫から遺言状が出てきたそうで、家族の誰もが貸金庫の存在すら知らなかったために父方一家びっくり。
祖父母は戦後に地元(九州)で事業を興した人で、今は父兄が継いでいる。
個人名義でもそこそこ財産があったので、きっと期待していたんだと思う。
慌てて弁護士をよこして相続放棄するように迫ってきたけど、母に慰謝料も払わず、養育費も払わず、母子そろって着の身着のまま同然で追い出した父に遠慮する必要なんてないので、ありがたく相続するよと答えた。
私はその時東京で会社を興したばかりで資金繰りに苦慮していた時期だったし、唯一気がかりだった母も地元を離れていて「私のことは気にするな」と言ってくれたので遠慮なく頂くことにした。
前提:オイルショック(つまりは大昔の話)で代々続いてきた会社を潰しちゃった実父。
ママン(あった事ない父方祖母)の金遣いの荒さを止めることもできず、自分の不運に酔いしれているばかりなのでキレた母により、兄と私の親権も監護権も全部奪われ(時代を考えるとスゴイと思う)離婚された。
私の結婚が決まった時に、母から「お前の本当のお父さんからの手紙。アンタにあげる」と渡された手紙の内容が、こんな感じだった↓(長いので端折ってます)
小学5年生の時に生まれた弟の顔見せの為に久しぶりに父の郷里へいった
祖父母の自宅に泊まるのだが、父は親戚宅の用事が長引いて帰れなくなったため
母と自分、0歳児の弟だけが泊まることになった
その昼から集落は賑やかで祭りがあるとの事だった
私は出店を期待してワクワクしていたのだが、神輿や白い旗?をふりまわす
男の人がいるだけでたいして面白くもなかった