折り返したら「嫁ちゃん、ちょっとうち来てくれない?」(車で15分)と。
初期の大腸がん手術を終えたばかりのウトさんになにかあったのかと心配なので急いで駆け付けた。以下一連の会話
私の生家は、私が幼稚園ぐらいまでは父親がおらず、母子家庭だった。
その後、父親がともに暮らすようになった。
小学生の頃は「(母親も働いていたため)転勤で一緒に暮らせなくなったが
父親が決心して仕事を変わったので暮らせるようになった」と言われていた。
父親側の親戚との交流がなかったのは疑問に感じていたりもしたが、父方祖父母は既に亡くなっており
遠方の父方伯父以外の親戚はいないと説明されていた。
数年経って、妹に結婚前提で付き合っている人を紹介したいと言われた
丁度私もプロポーズされたばかりだったので、実家の東京で互いの恋人を連れて四人で会うことになった
待ち合わせ場所に行ってみてびっくり!相手の男性は私の恋人だった
いや私の恋人は隣にいるし?鏡?と混乱していたら、多分妹も私と同じ顔で同じように混乱していた
私の恋人と妹の恋人も一卵性の双子だった
あれほどの衝撃はもう無いと思う
見た瞬間に手が震えて、店員のおねーさん呼んで確認して貰った。
おねーさんが驚いてでかい声だしたんで、雀荘のみんなから注目浴びて役言ったら歓声が上がった。
最後の半チャンだったんでテンピンの倍、焼き鳥飛ばし賞ありだっんで御祝儀含めてかなりの額になったんだけど、そんなことわからないくらい頭が真っ白になった。
後にも先に麻雀で手が震えたのはあれだけ。
そしてそれから二ヶ月くらいは事故と病気で氏ぬかもしれないと思ってビクつきながら生活してた。
共働きで結婚3年目、家を新築して半年程たった時に、突然夫に「ウワキ相手が妊娠したから責任をとって結婚する。別れてくれ。」と土下座された。
プリとは1年間フリンしていたらしい。
あまりの事に最初は信じられなくて呆然→言われたことを理解して号泣。
泣く私をなんとか説得しようとする夫の話を聞いているうちに「そういえば最近帰りも遅いし、休日出勤ばかりだったな〜あれはウワキしてたのか」とか変に納得して冷静になっていった。
黙って話を聞いている私に、何を勘違いしたのか夫は、「私ちゃんの事は愛しているけど子どもの為にも無責任な事は出来ないんだ。私ちゃんは優しいから絶対にわかってくれると思ってた。」と涙ぐみながら笑顔で言い放った。
その瞬間、何言ってるんだこいつは?と急激に怒りがわき上がってきて、「少し心の整理をする時間が欲しい。」と言って家を出た。
夫はわかるよ、と頷いて見送っていた。
家を出た後、近所のネカフェに入って離婚について色々調べていた時、離婚は有責側からは要求できないと知って、これだ!!と何かがはじけた。
それからはビジホに泊まって弁護士を探して相談したり、作戦を練った。
その間も夫からは「子どもの為を思って泣く泣く別れる俺」といった湧いたメールが届いていたけど、全て「考えさせてほしい」と返信。
私「なんかK君って他人とは思えないよね、お兄ちゃんみたいな感じがするー」
彼「ああまあ、血が繋がってるし、だからじゃない?」
私「えっ・・・(絶句)」
何でも、もともとK君のご先祖と私のご先祖は同じ一族だったらしい。
時代が下り、分家したり婿を取ったりと色々あるうちにお互い苗字が変わってしまった。
だからK君は親戚だという事を知っていたけど、私は全然知らなかったのだ。
しかし、”血が繋がっている”という事を周囲の人間たちに面白おかしく吹聴され、「あいつら(K君と私)キンシンソーカンしてるらしいぞwww」 などという心無い噂をばら撒かれ、悩んで苦しんで何度も泣いて・・・
まぁいろいろあったもんで、私とK君は付き合うのを止めてしまった。
大人になってからはお互い地元を離れて働くようになったので、もう15年以上、K君の顔を見ていないし、話もしていない。
もちろん、この話は夫にもした事がない。
どうかK君が幸せになってくれますように。
私が願うのはそれだけだ。
酔うと必ず自分が世界で一番可愛い、
それがわからない奴は目の腐ったクズと豪語
そこまではまだ良かったん
彼女と友達との数人で飲んだ時に俺の友達にむかって
「あんたみたいなブスって見てて不愉快だから早く氏んでw神様は生きてる価値ないと判断した人間はブスとして生むんだよ。あんたみたいなブスは今すぐ氏ぬべきなんだよw」と大声で言った
いくら酔ってたとはいえありえない
どんなに酔ってても本人の中にない思考は出てこないものだと思う
昔引きこもりの兄にわいせつ犯から助けられた事がある。
学校の帰り道に突然腕を引っ張られて脇道に引きずり込まれそうになった。
そこにジャ○プを買いに外に出た兄が通りかかり、犯人に体当たり。
そのまま押さえつけて通り掛かった他の男性も加わり、犯人は御用に。
私の怪我も膝の擦り傷のみだし、それより引きこもりの兄が妹を助けたと両親が喜び、次の日には近所の人も集まって宴会が行われた。
その席で父が涙ながらに「お前はやっぱり爺ちゃんの孫だ。普段どんな事をやってようと真ん中は曲がった事が許せない漢だ」と嬉しそうに語った。
この爺ちゃんというのは父方の祖父で、戦時中に戦争に向かう情勢に疑問を持ち、その事で憲兵隊に目を付けられ、内地(国内)勤務だったのに南方に送られた人。
戦後生きて帰国したが身体を壊して早くに亡くなってしまった。
祖母は父や孫の私達にも亡くなるまでその姿勢を話してくれていた。