兄姉は独立していたので自分ひとりで留守番、心配されたが記念なんだし大丈夫と押し切って両親旅立つ
プチ一人暮らし気分でわくわくしてた留守番初日の夜、高熱を出す
両親に連絡したら旅行から帰ってこようとするだろうから、連絡なしで一人で耐えることにした
翌日、我慢できないぐらい熱も痛みも酷いので、大目に渡されていた生活費と自分のお金でタクシー呼んで病院に
診断結果はインフルエンザ、でも両親の邪魔したくないからまだまだ連絡なしで耐えることに決める
翌日、我慢できないぐらい熱も痛みも酷いので、大目に渡されていた生活費と自分のお金でタクシー呼んで病院に
診断結果はインフルエンザ、でも両親の邪魔したくないからまだまだ連絡なしで耐えることに決める
翌日、我慢できないぐらい熱も痛みも酷いので、大目に渡されていた生活費と自分のお金でタクシー呼んで病院に
診断結果はインフルエンザ、でも両親の邪魔したくないからまだまだ連絡なしで耐えることに決める
父方祖母が私を不憫に思っていたらしく、遺言状に私宛の相続を記してくれた。
祖母が亡くなってから銀行の貸金庫から遺言状が出てきたそうで、家族の誰もが貸金庫の存在すら知らなかったために父方一家びっくり。
祖父母は戦後に地元(九州)で事業を興した人で、今は父兄が継いでいる。
個人名義でもそこそこ財産があったので、きっと期待していたんだと思う。
慌てて弁護士をよこして相続放棄するように迫ってきたけど、母に慰謝料も払わず、養育費も払わず、母子そろって着の身着のまま同然で追い出した父に遠慮する必要なんてないので、ありがたく相続するよと答えた。
私はその時東京で会社を興したばかりで資金繰りに苦慮していた時期だったし、唯一気がかりだった母も地元を離れていて「私のことは気にするな」と言ってくれたので遠慮なく頂くことにした。
因みにもしもしな上長文。
震災からすぐ、母親が氏んだ。
俺の家はすごい田舎で、山奥の豪雪地帯。
震災で、若干だがライフラインに影響が出て水や食料を買い出しに出た両親が事故にあった。
雪崩だった。
家への道はその道路しかなく、山の上で下はすぐ崖→川という状況だった。
他の車も何台か巻き込まれたが、みんな無事だった。
運悪く両親は雪崩にのまれ、道路から押し出されて数十メートル下の川に落下した。
里帰りしてすぐ絶対安静になって、実家で寝てたら父が別人のように厳しく、いつまで寝てる!とか母さんにだけ働かせて!って怒鳴るようになった。
父はすごく温厚で、怒鳴られたのは初めて。
あの父が怒る位だから私よっぽどひどいのかな、でも絶対安静だし…と母に言ったら、母が父に激怒。
絶対安静だって言われてるでしょ!私は娘に手伝えなんて思ってない、大変そうだと思うならアンタが手伝え!と。
父は「よかれと思って…」
母はさらに怒って、「私が妊娠した時と同じだ!あの時もおかしかったけど、まさか実の娘にも同じことをするなんて!」
結局私は入院し、息子が無事生まれた。
父はもとの温和な父に戻ったけど、初孫の息子にはまったく関心なし。
母が言うにはこれも昔と同じで、母が私を妊娠した時、
つわりを「うるさい!」
お腹が出てきたら「気持ちわりい」
眠くて寝ていたら「怠け者!」
私が生まれても、しゃべりだすまでまったく関心を示さなかったらしい。
私は子煩悩な父しか知らなかったからビックリ。
母は本当は二人子供がほしかったけど、また父がああなるのが怖くて一人しか産まなかったそうだ。
それから三年。
両親の亀裂が埋まらず、離婚するって連絡が来た。
母は正社員だし、福利厚生は父の会社よりしっかりしてるから心配いらないって。
あの時里帰りしなきゃ、今でも両親は一緒に暮らしてたのかなーとか、私がもっと元気な妊婦だったらよかったのかなとか、色々考えてしまう。