しかし、なんかスプレーを使い慣れていないのでうまく塗れない。
スプレーより刷毛で塗った方がいいような気がしてきた。
子供ながらに考えたのはスプレーの中にはペンキの液体が入っているのだから、それをこのスプレー缶からなんとか出して刷毛で塗ろうと。
迷わず、台所にいき、取り出してきたのは缶きり。
裏から缶詰めのように開けたら楽勝♪
子供ながらに考えたのはスプレーの中にはペンキの液体が入っているのだから、それをこのスプレー缶からなんとか出して刷毛で塗ろうと。
迷わず、台所にいき、取り出してきたのは缶きり。
裏から缶詰めのように開けたら楽勝♪
当時小3だった俺のクラスではドラマとか映画とかで人が氏ぬ寸前に「幸せになれ・・・よ・・・(ガクッ」とか「あとは任せ・・・た・・・(ガクッ」みたいな
氏ぬ寸前のシーンを真似るのが何故か滅茶苦茶流行った
ほぼ皆「あとは任せた(ガクッと同時に白目」ってセリフを使ってて例えば
ドッジボールで当てられた内野の人が外野に移動する時に仲間の内野にそういう感じで使ったり
体育の選手交代時に交代で下がる生徒がコートに入る生徒に使ったりとかそんな感じ
周りにいる人大勢で爆笑するもんだから兎に角みんな面白がって使いまくってた
沖縄返還の8年前に生まれた私
お盆になると、偶に沖縄戦の生き残り組だった祖父たちの奇妙で素敵な話を思い出す
前後の話を祖父から聞いて、なんでそうなったのかが分かった
自宅の近くに、頑固なのに愉快な小父さんが居た
祖父たちを大変可愛がっていたようで、沖縄戦が始まると頼りがいある兄貴的な存在だったそうだ
戦闘中、艦砲射撃かで祖父の近くで小父さんは戦氏
仇を討ってやろうとやっているうちに終戦
終戦の翌日、祖父の夢枕に小父さんが立って、怒りながら「○○、ここは我が国じゃない! 成ったら帰ってくる!」と告げて消える
他の生き残り組に伝えたら、「あの小父さんらしい。いつになるやら」という反応だった
ちょうどその頃、謎の物音(私です)を聞きつけた母がコッソリ玄関から様子を見ようと、恐る恐るドアノブに手を伸ばした。
途端にガチャン!!と鍵が勝手に開き、一気に鼓動が早くなる。
次の瞬間、ドアが開かれ、暗い色のコートに身を包んだ人間が!(私です)
悲鳴をあげて混乱する母。母に言わせれば物凄いショッキングな体験だったらしい。
しかし私に言わせれば、ドアを開けたら、明かりも付いてない暗闇状態の玄関に突然人の顔が現れ(母です)しかもその顔が「ギャアアーーーーーッ」とマドゴンドラの様な顔と声で叫びだして、心臓止まるかと思ったよ。
私のほうが衝撃的な出来事だったと思う。
大学時代、同じゼミにいと同級生T。
背が高くてがっしりしてるTは、人一倍そのことを気にしながらも人一倍ピンクとかレースとか薔薇柄とか、そういう可愛いものが好きだった。
私は背が低い割にそういったものが苦手で、白黒ベージュ、シンプルで格好いいものが好きだった。
だからいつも二人で「私達、好みが逆ならよかったのにね」と笑いあっていた。
Tの一人暮らしの家に泊まりに行ったり、学園祭を回ったり。
新しくオープンしたカフェにも、二人でよく行っていた。
自他共に認める仲良しな二人だった。
私の親友との話しなんだけど、数年前に当時二十代前半の女二人で温泉旅行に行った。
旅館の和室に仲良く布団を並べて就寝、しかし常は一度寝たら朝まで熟睡型の私がその夜は珍しく途中で目が覚めた。
何とも言えない寝苦しさに加え、なぜか息をするのが辛くなったのだ。